2016年1月25日月曜日

第1280話 漱石ゆかりの洋食屋 (その1)

1ヶ月ほど前に「鯛や鰻の舞踊り」と題して
文豪・夏目漱石が愛したうなぎ屋、
「竹葉亭銀座店」を紹介したのだが
此度はやはり漱石ゆかりの洋食屋、
「松栄亭」にご案内してみたい。
まずは自著「文豪の味を食べる」よりその稿である。

漱石は和食よりも洋食を好んだ。
すき焼きやビフテキが食膳に上ると機嫌がよかった。
すき焼きは今でこそ和食の範疇だろうが
当時ではかなりハイカラな料理だった。
ロンドン留学時代の劣悪な食事とは
ケタ違いの牛肉料理を満喫したことだろう。

ロンドンでは人種差別に悩み、
それが肉体的コンプレックスにもつながった。
漱石は小柄な男だった。
下宿先の主人とハイドパークへ
ヴィクトリア女王の葬列を見に行った折、
その主人に肩車をしてもらっている。
三十男が肩車のお世話になることなど、
常識では考えられず、相当な小男だったと思われる。

東洋人の肉体が西洋人のそれに見劣りするのは
食べる物の”差”と信じていたはずで
その思いが漱石をして積極的な洋食の摂取に駆り立ててゆく。
このあたりビフテキとボディービルで
肉体改造を図った三島由紀夫に似ていなくもない。

神田須田町・淡路町界隈は旧くは連雀町と呼ばれ、
奇跡的に戦災を免れたエリアだ。
「かんだやぶそば」、鳥鍋の「ぼたん」、鮟鱇の「いせ源」など、
老舗が往時の姿をとどめて軒を連ねている。
その片隅、白地に黒く「洋食 松栄亭」と染め抜いた暖簾を
掲げているのが漱石ゆかりの洋食店である。
1907年の創業だから、ちょうど去年で百周年。

漱石が好んだ洋風カキアゲ(850円)をまず食べてみる。
豚肉と玉ねぎを玉子と小麦粉でつなぎ、
油でカラリと揚げたものだが時間がかかるわりには
さほど美味しいものでもない。

何だかお好み焼きのキャベツを玉ねぎで代用し、
鉄板で焼く代わりに油で揚げたようなものだ。
10年以上も前に一度食べたきり、
カキアゲ君との再会を果たすつもりもないが
そのうち魔が差すこともあろう。

=つづく=