2016年7月4日月曜日

第1395話 文豪たちも来たろうか? (その2)

天保元年創業のそば店「巴屋」。
天保は成熟した町人文化の開花により、
江戸がもっとも江戸らしい時代を迎えた、
文化・文政、いわゆる化政期の直後に当たる。
時代小説、並びに映画・TVの時代劇の舞台になるのも
文化から天保に至る時期がきわめて多い。

J.C.が天保時代(1830~1845)に惹かれるのは
ひとえに「天保水滸伝」のおかげだ。
「天保水滸伝」の原型を作ったのは講談師の初代・東流斎馬琴。
その後、講談から浪曲・歌謡曲・小説へと発展し、
ちょいとした”プチ忠臣蔵”と呼んでもよいくらい、
日本人の感性にふれるものがある。

物語は対立する博徒、笹川の繁蔵と飯岡の助五郎、
そこへ剣豪・平手造酒(みき)ががからむ。
3人とも実在の人物でクライマックスは大利根河原の決闘だ。
天下分け目の喧嘩(でいり)のわりに討ち死には少なく、
飯岡側に3人、笹川側はたった1人にすぎない。
ところがその1人は食客の平手だった。
一宿一飯の義理を果たすため、
孤軍奮闘して敵陣に乗り込み、めった斬りに合っている。

時は下り、天保改元のおよそ百年あと、
1930年前後には「天保水滸伝」のタイトルを冠した映画が
数本作られており、一大ブームを迎えた。
続いた歌謡曲、田端義夫の「大利根月夜」(1939年)、
そして三波春夫の「大利根無情」(1957年)によって
日本全国津々浦々、多くの大衆に知られるようになった。
ここで例によって歌詞の紹介と行きたいところなれど、
「大利根無情」のほうは
過去に何回も載せているから今回はじっとガマンを貫く。

ちなみに天保年間を生きた歴史上人物には
渡辺華山、大塩平八郎、鼠小僧次郎吉などがいる。
「天保水滸伝」の中心人物同様に
いずれも不幸な死に方をしているのは時代の必然だろうか。

団子坂上の日本そば屋、天保元年創業の「巴屋」であった。
バスの窓から再会に及んだからには
同じ失敗は繰り返したくない。
また忘れたら元も子もない。

そこで翌週には出掛けることにした。
独りの訪問はちと侘しい気がしたので
近隣に棲む友人を思い浮かべてみたら
まっさきに浮かんだのが将棋仲間のK子老人だった。
しばらくご無沙汰しているからちょうどいい。
さっそくお伺いのメールを入れると15分後には返信があった。

=つづく=