2016年7月1日金曜日

第1394話 文豪たちも来たろうか? (その1)

お婆ちゃんの原宿、巣鴨の地蔵通りで所用を済ませ、
身体が自由になった夕まぐれだった。
JR巣鴨駅前までやって来ると、
折よく浅草行きの都営バスが停車しているではないか。
渡りに舟、通りにバス、運チャンに手を挙げて
閉じかかったドアを開けてもらって乗り込んだ。

このバスは巣鴨を出たあと、
旧白山通りから団子坂、道灌山通りから明治通り、
三ノ輪で国際通りに入り、浅草へと至る。

千石―白山上―千駄木―道灌山下―西日暮里駅―
荒川区役所―三ノ輪駅―竜泉―千束―浅草

上記の町々を順に運行してゆくのだ。
起点は池袋東口で池袋と浅草を継ぐ、
わりと便利な都民の足となっている。
とりわけ中高年からお年寄りの利用者が多い。

さて、その夕刻。
バスは白山上から駒込千駄木町へと走っていた。
駒込大観音(おおがんのん)で世に知られる、
天昌山光源寺の門前を過ぎて団子坂上に向かう途中、
車窓から街並みをボンヤリ眺めていると、
一軒の日本そば屋が目にとまった。
屋号を「巴屋」という。

はて? どこかで聞いたような見たような・・・
訪問した記憶はなくとも何か引っ掛かるものがあった。
一体全体、何だったろうか?
しばし、思案投げ首の巻である。

心の屈託などお構いなしにバスは団子坂を下り切り、
不忍通りの赤信号でストップ。
長い赤信号が青に変わって通りを左折する。
そのときようやく思い出した。

かれこれ5年以上になろうか。
散歩の途中に遭遇して近いうちにぜひ来なければ!
そう思ったことであった。
変哲もない古びたそば屋なのだが
袖看板に記された屋号の脇の文字が強く心に響いたのだ。

”天保元年創業”・・・このことである。
近いうちに来ようと思っていながら
いつしか忘却の彼方に追いやられてしまったんだネ。
この有り様じゃ、備忘録でも作らなあかんぞなもし。

それにしても天保元年といやあ1830年。
実に186年もの歴史を刻んでいる。
この頃の日本は・・・
と、ここまで綴って以下次話であります。

=つづく=