2016年11月3日木曜日

第1483話 うな重だけではもったいない (その2)

柳家小さん(五代目)の稿のつづき。

 十数年も以前のことになるが小さんの人柄がにじみ出る、
日経新聞の「私の履歴書」を楽しく読ませてもらった。
歩兵三連隊の機関銃隊に属する一兵卒(二等兵)として
二・二六事件に巻き込まれたクダリなど、
人間国宝に向かって失礼ながら高座よりずっと面白かった。
この折、兵隊たちには
帝国ホテルのライスカレーの炊き出しがあったという。
どんな味、どんな食材だったか、興味津々だ。

「粗忽長屋」・「長屋の花見」・「時そば」・「子別れ」・
「強情灸」など、得意とするネタは数々あれど、
やはり本人の容貌と風采に照らして
「狸賽」と「饅頭こわい」に親しみを感じる。
小さんならではの独特のおかしみが
観るもの聴くものの笑いをごく自然に誘い出す。
こればかりはほかの噺家には真似のできない天性のものだろう。

五代目小さんが通ったうなぎ屋が文京区・湯島にある。
上野鈴本演芸場から歩いてみよう。
演芸場を右に出たらすぐの、上野広小路の交差点を右折、
そのまま真っ直ぐ行って、天神下の交差点を左折すると、
数軒先の左手にうなぎ屋「小福」のコンパクトなビルが見えてくる。
普通の男の脚で徒歩5分ほど。
雪駄履きの噺家の脚なら、いくらか速いかもしれない。

小さんはこの店をこよなく愛した。
さすがに浅草育ちの下町っ子は重箱に収まったうなぎを好まない。
赤坂のうなぎ料亭、その名も「重箱」が発案して以来、
またたくまに東京中を席捲しつくした感のあるうな重だが
まったくイヤものが流行ったものだ。
したがって小さん師匠は
瀬戸物製のマイ・ドンブリを店に持ち込んでいた。

どんぶりモノを粋にかっこむには左手で持ち上げて
右手の箸を使うのが一番だ。
もちろん左利きの方はその逆でけっこうです。
重箱を持ち上げると、全然サマにならないし、
卓上に置いたままでは
背筋が伸びずに猫背となって貧乏臭くなる。
店側にとって配膳や収納に便利な重箱の長所は
捨てがたいものがあるのは承知の上、
食べものを食べものらしく食べるためにも
どんぶりの復活が切に望まれるところだ。

玄関先のつくばいを横目に
丈の長い染め抜き暖簾をくぐると、一階には帳場と調理場。
二階に上がると、馬蹄形のカウンターを
客がぐるりと囲む設いになっている。
馬蹄の内側には水槽があり、錦鯉が優雅に尾ひれをなびかせる。
うなぎ屋らしからぬ雰囲気が漂い、
ゆるりと酒を飲みたくなる気分にさせる。

生モノの水準がきわめて高く、
単にうなぎが焼けるまでの継ぎというのではもったいないほど。
肝焼きも忘れてはならじの逸品だ。
うな重は丸一尾使用の2100円のものでじゅうぶん。
蓋を開ければ、
焼きと蒸しに手ぬかりのない蒲焼きが照り輝いていた。
あぁ、これがどんぶりであったなら・・・。

=つづく=