2017年8月14日月曜日

第1677話 なぜか初めて松陰神社 (その4)

クルマの往来激しい世田谷通りを歩みながら
あらためて感じ入った。
大老・井伊直弼が企てた安政の大獄により、
粛清された吉田松陰はそのとき弱冠29歳。
死後、自分を慕い、崇敬する門下生たちに祀られ、
神社まで創建されるとは夢想だにしなかっただろう。

何の因果か、直弼の眠る豪徳寺と松陰神社とは
東急世田谷線でたった4駅に過ぎない。
じゅうぶんに歩ける距離である。
東京という大海の中にあり、まさに呉越同舟する景色。
運命のいたずらを痛感する。

ラジオの交通情報でおなじみの若林交差点を渡った。
足下に環状七号線が走っている。
それにつけてもノドが渇いた。
下北沢と並ぶ世田谷きっての繁華街、
三軒茶屋まであと十数分、もう少しの辛抱だ。

しかし、このときピカリとひらめいた。
通り沿いに餃子専門店があったな・・・
このことだった。
10年ほど前に近隣の和洋折衷食堂、「芝多」を訪れた際、
その帰りに立ち寄って
小ぶりな餃子をつまみに飲み直した記憶がある。
確か生ビールを2杯飲んだハズ。
そうだ! これでいこう。

べつに腹は減っちゃいないが
パブもバールもない道すがら、
多少の譲歩は致し方ない。
餃子なら難渋する心配も要らないし―。

数分後に到着したのは「東京餃子楼」。
そう、そう、ここ、ここ。
カウンターの若いカップルとカップルの間にすべり込み、
何とか席を確保することができた。

1人前6カン290円の焼き餃子と生ビールを所望する。
1杯目がすぐに空っぽとなり、
2杯目は餃子と同着の写真判定。
熱い餃子を尻目にひたすらジョッキを傾ける。
ほどほどに冷めかけたところを3杯目とともに食べ終えた。

そうしてやって来た三軒茶屋の三角地帯。
世田谷区に唯一生き残った戦後ヤミ市の残滓だ。
江戸時代に大流行した大山参りの追分がこの地点で
3軒の茶屋が軒を連ねていたというのが名の由来。

当然、気の利いた所で飲み直し、とは思ったものの、
店々が開くのはおおむね18時で、早くても17時。
そんなに待てるもんかい!
ここは見切り千両。
国道246号はクルマが多くてイヤだから
茶沢通りを北上、下北沢方面へと歩いてゆきました。

=おしまい=

「東京餃子楼 三軒茶屋店」
 東京都世田谷区太子堂4-4-2
 03-5433-2451