2021年1月6日水曜日

第2562話 逝く年 逝く人 (その2)

初めてなかにし礼の詞にふれたのは1964年。

和田弘とマヒナスターズ&田代美代子の「涙と雨にぬれて」。

TBSテレビ「ロッテ 歌のアルバム」だった。

1960年代生まれの方なら覚えておられるだろう。

「1週間のご無沙汰でした、玉置宏でございます」

 

作詞だけでなく、作曲もなかにし自身。

下田のホテルのバーで石原裕次郎の知遇を得た彼が

石原プロに持ち込んだ楽曲である。

想像するに裕次郎が渡哲也あたりに

「こういう青年のものなんだがワタリ、

ひとつ面倒見てやってくれないか?」

そんな感じだったと思う。

 

自信を持って売り込んだだけに会心の出来映え。

J.C.はうたともとよく歌うものの、

ロス・インディオスのカバーもあって

こちらは男女のパートが分かれていないため、

歌いづらいから断念している。

 

以後、多くの作品に接してきたが

強いインパクトを受けたのは1970年。

由紀さおりの「手紙」だった。

 

大学に入った年の夏、高校時代の同級生たちと

伊豆七島の三宅島でキャンプをしていた。

日曜日の朝、ラジオから流れてきたのは

ニッポン放送「不二家 歌謡ベストテン」。

滑舌のよいロイ・ジェームスの声が黒砂利の浜辺に響いた。

「今週の第○位、由紀さおり、『手紙』!」

 

台東区・下谷生まれとはいえ、

日本人以上に日本語が達者な外国人のロイ。

トルコ人は外国語をあやつるのが得意なのだ。

 

‘70年代半ば、日比谷の免税店に勤め始めた頃。

トルコ大使館の一等書記官、アルテンバイ夫妻が来店し

この奥さんがスゴいのなんの。

当時、流行っていた「およげ!たいやきくん」の感想を

しばししゃべくったのち、

「だけんど、わたしはチータ(水前寺清子)が

 一番好きなんだけんどもヨ」

こう、のたまうじゃないか―。

いや、舌を巻きやしたネ。

=つづく=