2014年4月22日火曜日

第821話 書棚にみとめた一冊の本 (その1)

自宅そばのコンパクトな図書館、
いいえ、自らは図書室を名乗っている小さなスペースだが
その書棚に一冊の本をみとめて手にとった。
塩澤実信著、「昭和の流行歌 物語」(展望社)なる書籍だった。

さっそく借りてきて、その日のうちに読了する。
いやあ、まったく、面白いの、なんのって!
第一章「昭和は佐藤千夜子で始まった」(大正末年~昭和11年)から
第五章「歌い継がれていく昭和の名曲」(昭和46年~昭和の終焉まで)まで
数ある流行歌にまつわるエピソードのオンパレードだ。

そこを突き詰めて語りたいところなれど、
今話は珠玉の流行歌を取り上げるのではない。
そんなことをし始めたら、それこそとめどなく綴りに綴って
(その30)くらいまでゆき着いてしまう。

読む方は当然、厭きるし、疲れるし、
誰もシアワセにはならないからやめておく。
その代わりといっては何だけれど、
目からウロコの一文を紹介したい。

第二章「戦時下にも歌は流れた」(昭和11年~20年)の中の
”日中戦争の戦火広がる”にあった、極めて印象的な文章を
かなり長いが作者や出版社の了解も取らずに引用させていただく。

 昭和十二年七月七日夜(七夕ですネ)
 ラジオは歌謡アワー「鶯の饗宴」を突如中断して
 臨時ニュースを流しはじめた。
 北支那の北京郊外、盧溝橋付近で日本軍と中国軍が
 戦火を交えていることを伝えた重大なニュースであった。

 軍事衝突の引き金となったのは
 夜間、演習中の日本軍が小銃弾の音をきいて人員点呼を行ったところ、
 兵一名が行方不明になっていたことだった。

 後刻あきらかになるが、その兵は
 「生理的欲求のために隊列を離れていたにすぎなかったのだ」
 (森島守人『陰謀、暗殺、軍刀」』)。
 しかし日本軍は一斉攻撃を開始し、ここに日本は
 ”聖戦”の美名のもと、中国への全面侵略に突入したのである。
 
 日本は当時”暴支膺懲”(驕れる支那をうちこらしめる)を合言葉に
 一戦を交える謀略策を練っていた。
 東大教授・加藤陽子は、最新の発掘資料から
 駐米国大使だった中国の胡適の卓抜した外交戦略と
 先見性を明らかにしている。

 この胡適なる人物は此度、初めて知ったのだが
 いやはや、大変な才人ですな、この人物は!
 もし、かような君子が当時の日本に一人でもいたならば・・・。
 今さらボヤいてみたとて、愚痴以外の何モノでもござりますまい。

=つづく=