2020年3月4日水曜日

第2342話 吉原・山谷・泪橋 (その3)

山谷の酒場「大林」。
二つあるうち、奥のカウンターに落ち着いた。
先客は手前に二人、奥に一人、それぞれ単身である。
ビールはキリン・クラシックラガーの大瓶。
オヤジさんに目を付けられぬよう、静かにグラスを、カチン!

毎度のことだが、この空間に身を置くだけでシアワセを感じる。
相方は雰囲気に飲まれ、息を飲んでいる。
そうでしょう、そうでしょう、こんな店は人生初めてでしょう。
突き出しは茄子の醤油煮。
唐突に素朴な一皿は江戸庶民の食べものみたいで
お世辞にも旨いとは言い難い。

厨房には老婦人が独り。
この光景は昔からちっとも変っちゃいない。
思うに・・・おそらく二人は夫婦じゃあるまい。
何となく・・・姉と弟のような気がする。
いえ、べつに何の根拠もないけれど、直感がそう主張する。

つまみは下町における大衆酒場の定番、
いや、かつては定番だった、炒り豚をお願い。
豚の小間切れかバラ肉と玉ねぎの炒め合わせは
ケチャップ味がほとんどだが、まれに塩味であることも―。
記憶をたどると、大島(おおじま)の「ゑびす」がそうで
十条の「天将」もそうだったかな?

2人で大瓶2本を空けたあと、
J.C.は赤玉スイートワインを1杯。
1907年に生まれた日本のぶどう酒は
この場にふさわしいものと思われた。
あまり長居をせずに退店する。
勘定は2千円少々と相変わらず良心的だ。
いくら取られるのか存ぜぬが
スカイツリーなんぞに昇る連中の気が知れないや。

マンモス交番の前を再び横切って北へ。
吉野通りと明治通りの交差点が泪橋。
北詰に江戸時代の刑場、小塚原があり、
死罪に処せられる科人(とがにん)はこの橋上が今生の別れ。
ヴェネツィアのため息の橋と似たものがある。
”泪橋を逆に渡ろう”、「あしたのジョー」の冒頭シーンで
一躍、全国に知れ渡った。

やって来たのは再開発のせいで
味も素っ気もなくなったJR南千住駅前。
ビルの半地下に埋没した「鶯酒場」に潜る。
店主が同じでも雰囲気はガラリ変わった。
スーパードライの大瓶を通すと、突き出しはおでん風煮もの。
「大林」よりいくぶん現代的である。

鯨のベーコンが予想以上に良質だ。
鰯の立田揚げも水準をクリアしている。
生搾りのレモンサワーにスイッチして
今日一日を振り返る二人でありました。

=おしまい

「大林」
 東京都台東区日本堤1-24-14
 電話ナシ

「鶯酒場」
 東京都荒川区南千住7-1-1アクレスティMBF
 03-3801-3277