2011年8月16日火曜日

第119話 昔の名前で食べてます (その1)

 ♪  京都にいるときゃ 忍と呼ばれたの
   神戸じゃ渚と 名乗ったの
   横浜(ハマ)の酒場に 戻ったその日から
   あなたがさがして くれるの待つわ
   昔の名前で 出ています    ♪
             (作詞:星野哲郎)

小林旭の「昔の名前で出ています」は1976年のヒット曲。
その頃は有楽町にあったデューティーフリーショップで働いていた。
いわゆる免税店に’75年夏から’77年秋までいた。

当時、昼めしによく利用して今も健在なのは
いの一番に食堂「いわさき」。
名物の”わかれ”はかつ丼のアタマとメシがセパレートで運ばれる。
この下世話な味が実に旨い。
何十年も変わらぬ割下を使っているおかげだ。

あとは中華の「慶楽」とホロホロ鳥の「大雅」が
無事に生きながらえている。
あまたの店が姿を消した今、
老舗が健やかなのは頼もしい限り。

上記3店はすべて有楽町のガード下かガード沿いにある。
なじみの飲み屋で残っているのも
同じガード下の「八起」と「登運とん」。
早いハナシがこの一帯は昔とあまり変わってないのだ。
逆に近所の映画街は様変わりもいいところ。
「有楽座」、「日比谷映画」、「みゆき座」、みな消滅した。
「スカラ座」だけが辛うじて残るが、もう映画街とは呼べない。

銀座は数寄屋橋交差点の一角、
ソニービルの向かいに建替えの決まった東芝ビルがある。
この地下にラーメン店「直久」があった。
昔ながらの支那そば屋とは違うタイプながら
懐かしさ漂う醤油ラーメンにもたびたびお世話になった。
刻んだ焼き豚と野菜がタップリのとんさいラーメンが
他店にはない人気アイテムだった。

「直久」は新宿や新木場など各地に展開していて
まあ、チェーン店といえないことはない。
ただし昨日・今日出没した新興勢力と一緒くたにしたくはない。
ルーツをたどれば大正5年に甲州で誕生。
「更科」という屋号で日本そばと支那そばの両方を出した。
東京の第一号はくだんの東芝ビル、昭和42年の開店だ。

東芝ビルが閉鎖後はトンとご無沙汰していたある日、
新橋駅と地下でつながる「ウイング新橋」に
支店があることを思い出し、無性に食べたくなって出撃を決意。
金曜なのに予定のないヒマな友人を伴って初訪問である。

待ち合わせに先着してさっそくお願いしたのは
生ビールの中ジョッキに餃子3個が付いてくるセット。
いくらだったかな? 確か400円ほどだったと記憶する。
この時期、最初のジョッキはほとんどイッキ。
すぐに2杯目を頼み、おもむろに餃子を1ヶパクリとやると、
ややっ、これはいったいどうしたことだ!

=つづく=