2015年4月22日水曜日

第1082話 めざしうれしや麦とろ定食 (その3)

「満寿屋」の麦とろ定食を前にして思わず舌なめずりの巻である。
常温の真澄を味わいながら
真っ先に箸をつけたの戸隠そばだ。
そばはもちろんれっきとした食事になり得るが
酒の合いの手としてもその本領を発揮してくれる。

故・池波正太郎翁曰く、
「酒を飲まぬくらいなら蕎麦屋には入らぬ」―このことであった。
第一、そばはノビるから早めにいただかないとネ。
食味はいわゆる御前そばと田舎どそばの中間といったふう。
特有の噛みしめ感を堪能する。

合い間にめざしを1本やっつけたし、味噌椀にも手をのばした。
椀ものは冷めちゃうからネ。
具は豆腐と水菜、味噌は典型的な信州味噌である。
キメ細やかな白味噌は
豆カスを嫌う信州人のわが身にとってまさしくおふくろの味、
名古屋あたりの人々が三州・岡崎の八丁味噌を愛するのと同じことだ。

そうこうしながら真澄は早くも2杯目、まっこと旨い酒ぞなもし。
よほどつまみに何かもう1品と考えたものの、
目前にとろろ&麦めしが控えているのだ、浮気している場合ではない。
当面の品々への集中が大切で、それがまた食卓の作法でもあろう。

いよいよ麦とろにとり掛かる。
唯一、気になったのは麦めしにおける麦の割合の少なさだった。
パラパラと散見されるだけで
ほとんどが白米では本来の醍醐味に欠ける。
興をそがれるとまでは言い切らないが、粗野な純朴さがほしい。

もっともこれは店側のせいだけではあるまい。
今の日本人、麦めしなんぞに目もくれないのでしょう。
食生活が豊かになる過程において失ったものもまた多いのだ。
かく言うJ.C.、自分で大麦を買い求め、
炊飯する気にまではならないし・・・。

特筆する点はないにせよ、とろろは悪くなかった。
箸休めのしば漬はともかくも
きざんだ白菜漬には紫蘇の実が散っている。
ホンの数粒の”実”なれど、これが”実”に効果的であった。
残り1本のめざしは麦とろ(実際は米とろ)とともに美味しくいただいた。

老頭児(ロートル)にめざしはうれしい。
ノスタルジックな気分にさせてくれるものネ。
帰りに近所の惣菜&乾物屋でついつい、2連のめざしを購入してしまう。
その夜は帰宅後、めざしを焼いて独酌のつづきに及びましたとサ。

青年は荒野をめざし、
老年は今夜もめざし、

ということなんですな。

=おしまい=

「戸隠そば 満寿美屋」
 東京都文京区本駒込1-2-2