2019年2月15日金曜日

第2069話 ごま油の匂いに誘われて (その1)

紹介していただいたS村サンには申しわけなかったが
”驕る鳥家”をあとにして、独り歩く神保町の街。
時刻はまだ18時10分過ぎである。
どこかもう1軒、軽く飲っていこう。
飲食店が軒を連ねるすずらん通りにやって来た。

白山通りの向こう側、「加賀屋」のもつ煮込みで一杯。
そう、心づいたものの、鳥と豚の違いはありこそすれ、
ハツやレバーをさんざ食べたあとに白もつもないもんだ。
すぐに考え直す。

ロシア料理の「ろしあ亭」ねェ。
ザクースカ(冷前菜)でウァッカかズブロッカという手もあるな。
ガラスのドア越しに店内をうかがうと、けっこうな混雑ぶりだ。
こんなシチュエーションでの単身客はあまり歓迎されない。
ランチタイムならともかくも
夜の単独訪問者はまれだろうしネ。

「揚子江菜館」、あるいは「スヰートポーヅ」で餃子かァ。
いや、そうじゃないな。
短い行列の出来ている「キッチン南海」は
ボリュームあり過ぎだしねェ。

すずらん通りも終わりに近づき、
駿河台下の交差点が見えてきたとき。
鼻腔をくすぐるごま油のいい匂い。
匂いのもとは昭和6年創業の天麩羅店「はちまき」だ。

つい誘われて店先に立つと、
出されたテーブルに持ち帰り用の天丼がいくつか。
もちろん包装だけで中は空っぽである。
さあ、どうしよう?

お好みで揚げてもらって燗酒でもいただくとするか?
ちらり外からのぞけば客は皆無。
これでは落ち着かないし、やはり歓迎されないだろうな。
立ち去ろうと思ったが、いや、ちょいと待てヨ。
天丼ぶら下げて家に帰り、静かに飲み直そう。
よしっ、そうしよう。

テイクアウトは上天丼(800円)1種のみ。
店頭のテーブルに内容が記されており、
海老2・きす・いか・野菜とあった。
具材の半分を酒の肴に、残りを飯のおかずにしよう。

調製に2~3分かかるとのことで支払いを済ませ、
「5分ほどしたら戻ります」—こう告げて夜の街へ。
すぐそばの神保町シアターでは近々、
「君の名は」が上映されるという。
佐田啓二と岸恵子のオリジナル版である。
観に来る、来ないは別として
パンフレットだけはもらって来た。

=つづく=