2022年12月12日月曜日

第3165話 思い出のクロアチア&コスタリカ

今日は理髪日。
このところマイ・サロンの人気が上昇し、
1週前くらいじゃ予約が取れなくなった。
この日、どうにか取れたのが12時ちょうど。
いつもは15~16時なのにネ。

のんびりビールを飲みながら頭をハサミに委ねる。
コリアンの旦那がシャンプー担当。
話題はもっぱら、日本ークロアチア、韓国ーブラジル。
どちらも残念でした。

クロアチアを訪れたのは1986年夏。
シンガポール赴任中にツーカップル4人で
イタリア周遊後、ギリシャのアテネに移動した。
休暇をたっぷり取って出掛けた旅好きのJ.C.、
そこでシンガポールへ帰る3人と別れ、
独り旧ユーゴスラビアへ飛ぶ。

ベオグラード(セルビア)と
ドゥブロヴニク(クロアチア)に
それぞれ数日間の滞在。

アドリア海の真珠と謳われるドゥブロヴニクは
海に突き出た要塞都市、美しい街だった。
目の前にひょっこりひょうたん島みたいな
ロックルーム島が浮かんでいる。

此処はヌーディスト・ビーチ発祥の地。
郷に入れば郷に従え。
人生最初で最後の体験だった、
結果として”粗品”を披露しちゃったわけであります。
タハッ!

思い起こせばその10年後、コスタリカ訪問。
こちらも今回のW杯で日本を倒した国だ。
NY時代のことで
もともと同じ中米のエルサルバドルに行くつもりが
急遽、変更を余儀なくされた。

当時のGFはスペイン系エルサルバドリアン。
彼女の猛反対にあったのだ。
「あんな危険な国はハポネスやアメリカーノが
 気軽に旅行できる所じゃないのっ!」
「自分が生まれ育った国だろ?」
「じゃあなんで今、ワタシはNYに居るの?」

若かったんだねェ。
郷ひろみの「How Many いい顔」じゃないけれど
♪ 退屈よりは 危険を選ぶ ♪
そんな生き方をしていた。

結局は薬局、拝み倒されて断念。
その代替が平和なコスタリカというわけだ。
首都・サンホセしか知らないが
確かにのどかな風景が広がり、治安もよかった。

だけど、ほとんど覚えちゃいないんだ。
飲んで食べて歩いていただけ。
蝶々や野鳥に造詣が深けりゃ、
もっと楽しめただろうにー。
ただ、仕事で忙しい日々を送っていたから
自分に捧げる慰安旅行にはなりました。