2011年7月20日水曜日

第100話 「美家古」は心の都なり (その1)

浅草寺境内にて、ほおずき市をひやかしたあと、
馬道の「弁天山美家古寿司」に出向く。
横浜は馬車道、浅草は馬道である。

「美家古寿司」へは観音堂から三社様の前を通り、
二天門をくぐるのが近道ながら、この夜は急ぐ必要がない。
仲見世を雷門に向かって逆行し、
新仲見世を左折してゆっくりと赴いた。

初めて「美家古」を訪れたのは1978年。
隅田川の花火が復活を遂げた年のこと。
今年の花火は大震災の影響で中止も懸念されたが
何とかひと月遅れの開催となった。

’78年は実質的に浅草デビューを果たした年でもある。
むろん、それ以前にもたびたび遊びに来ていたが
この年をさかいにひんぱんに現れるようになった。
目的は鮨・どぜう・うなぎ・洋食の名店・佳店の歴訪。
「紀文寿司」・「飯田屋」・「小柳」・「大坂屋」・
「リスボン」・「喜多八」、訪ねた店は数限りない。
少ない給料をやりくりして覚えた味は
たとえ頭が忘れても舌がはっきり覚えている。

当時の「美家古」の親方は先代の四代目。
この人こそ江戸前鮨の概念を
根底からひっくり返してくれた恩師である。
初めて四代目のにぎってくれた鮨を食べたとき、
身体は震え、皮膚には鳥肌が立った。
以来、しばらく他店の敷居をまたがなくなり、
この店は心のふるさとならぬ、心の都となった。
小肌のどんでん返し、まぐろ赤身のスライス責め、
機知に富んだ裏技を始めとして
数々の思い出はそう簡単に語りつくせない。

当夜はハナからにぎりに焦点を絞っていた。
つまみは突き出しの北寄貝のみ。
通い始めた頃はいきなりにぎりであった。
 平目昆布〆・さより・真鯛・小肌・赤貝・車海老・
 赤身づけ・とろ霜降り・煮いか・穴子X2・玉子

こんな順序で食べていた。
季節によってさよりが
きすやあじに代わることはあったが・・・。

卓上の品書きがグッとハイカラになり、
以前のようにコースだけでなく
その日の鮨種がすべて列挙されている。
これならあえてネタケースをのぞかなくともよいのだが
そこはいつものクセ、ついついマナコが吸い寄せられる。

皮切りは季節感満載のすずきの洗い。
洗いをにぎる店はきわめて珍しい。
続いて時候が時候ながら平目昆布〆。
青森辺りでは通年水揚げされるようだ。
そして真鯛の松皮造りと、ここまでは三連荘。
松皮は皮目を残し、湯引いて仕上げる。

常日頃、にぎりは3種類を1カンずつ、
同時注文するようにしている。
飲みものを菊正の樽酒に切り替え、
第2グループ三連発の先陣は縞あじとした。

ほう~っ、理想的な良形だ

薄紅色の血合いはこやつが天然モノであることを物語る。

=つづく=