2011年11月3日木曜日

第176話 月の輝く夜に (その1)

翌日から3連休を控えた金曜日の夜。
それも最終電車が行ってしまった深夜のこと。
取り残されたように独り、谷中にいた。
文字通り、真夜中の谷中である。
夜空にはまあるい月がぽっかり浮かんでいたっけ。

谷中銀座及び、よみせ通りには
週にいっぺんの割合で買い物に訪れる。
主なターゲットは2軒。
小さなスーパーで生わさび、
イラン&トルコ料理店でチャパティかピタを買う。
したがって谷中はお定まりの行動範囲内、
いわば縄張内(しまうち)である。

谷中の夜は早い。
日付が替わる時間にはほとんどの店が扉を閉ざしている。
この晩は十分に食べ、十二分に飲んできたから
店舗を物色して飛び込もうという気はさらさらない。
ただ、昼とは違うこの町の夜の顔を
拝んでおこうという腹積もりで徘徊していた。

夕焼けだんだんの石段を下り、そのまま谷中銀座を真っ直ぐ、
ほどなくTの字にぶつかる通りがよみせ通りだ。
これを左に行くと三崎坂、右に行けば道灌山通りに出る。
当夜は進路を右にとった。

よみせ通りを歩み始めてすぐ、
映画の書割みたいな、すずらん通りが左手に現れた。
この小路だけが真夜中にもかかわらずにぎやかだ。
小料理屋やスナックが軒を連ね、
カラオケのがなり声がここかしこ。
まったく日本人ってヤツは・・・。

中に1軒、「エゾットリア」という名のイタリアンがまだ営業中。
店名はお察しの通り、蝦夷とトラットリアの合成語だ。
食材を北海道から調達しているのだろう。
店頭のメニューボードにあった生ホッケのムニエルが珍しい。
心惹かれて店内に入ると、
カウンターだけの小体な店に客はカップルが1組。
オンナの方は膝に子犬を乗せている。

とにかく3日後の月曜日に予約を入れた。
ただし、生ホッケは毎日入荷するわけではなく、
月曜まではとてももたないとのこと。
まあ、それはそれでいいでしょう、またの機会もございましょう。

思いもかけず、月の輝く夜にいい散歩ができた。
そういやあ、映画「月の輝く夜に(Moonstruck)」を観たのは
ニューヨークに赴任した年だから1987年の暮れだった。
あれから24年か、なんとまあ、月日のめぐりの早いことよ。

映画の主役はシェールとニコラス・ケイジ、
そしてメトロポリタン・オペラハウスの「ラ・ボエーム」であった。
あのオペラ抜きにこの映画は語れやしない。

=つづく=