2014年10月24日金曜日

第954話 よこはま・たそがれ 酒場のはしご (その5)

 ♪ よこはま たそがれ ホテルの小部屋 
   くちづけ 残り香 煙草のけむり 
   ブルース 口笛 女の涙 
   あの人は 行って行ってしまった 
   あの人は 行って行ってしまった 
   もう帰らない         ♪
       (作詞:山口洋子)

以前に語ったやもしれないが
五木ひろしのナンバーではこのデビュー曲がマイ・ベスト。
サブタイトルからしてそろそろ出る頃だろうと
待ちかねておられた諸兄のご期待に応えた次第である。
エッ、待っちゃいねェヨ、ってか?

そうッスヨねェ、読者の中には♪マークが登場すると、
あ~あ、また始めやがって!
ゲンナリする向きが少なくないように聞き及んでいる。
大阪で歯科医院勤めのらびちゃんなんざその最たるもので
彼女は演歌なんかまったく聴く耳持ずだもんネ。

歌の歌詞にもあるごとく、たそがれどきのよこはまには
ホテルの小部屋がピッタリなんだろうが
生憎、われわれ二人はホテルよりも酒場を好む。
今しがた出た「市民酒場みのかん」から
岩亀(がんき)横丁を目指し、
けっこうな道のりをテクテクと歩いて行った。

そうして到着した岩亀横丁。
まずは特異な名前の由来から語りまっしょう。
現在、横浜球場のある辺りにかつて港崎(みよざき)遊郭があった。
開業したのは幕末の1859年。
幕府に開設を依頼したのは当時のオランダ公使だったという。
オランダ人は好きだからねェ。

その港崎遊郭でもっとも豪奢な大まがきが「岩亀楼」。
経営者は幕府に請われて品川宿から乗り込んできた岩槻屋佐吉だ。
姓は岩槻、屋号は岩亀ということなのだろう。

この大店(おおだな)は客の少ない日中に
入場料をとって内部を見学させていたほどのもの。
遊女も日本人向けと外国人専用(羅紗緬)の2組に分別していた。
「岩亀楼」で働く遊女たちの静養所があった町がこの横丁で
いつしか岩亀横丁と呼ばれることとなる。

一つの悲しい逸話が残っている。
往時、「岩亀楼」には亀遊なる遊女がいた。
或る夜、佐吉かどうかは定かでないがマネージメントに
アメリカ人の一夜妻を命じられる。
そのミッションをきっぱりと拒否し、自害して果てたのだ。
そのとき残したのが

 露をだに いとう大和の 女郎花
 ふるあめりかに 袖はぬらさじ

世に有名な辞世の句であった。
有吉佐和子が小説化したので、ご存知の方も多かろう。

それにしても”大和の女郎花(おみなえし)”、
見上げた心意気と言わずばならない。
亀遊よ、そこもとの憾みはしっかりと、
なでしこジャパンがはらしてくれたぞヨ。

=つづく=