2014年10月31日金曜日

第959話 ブルースに寄せて (その1)

前話で行きががり上、紹介した「暗い港のブルース」。
さっそくお二人の読者から反響があった。
いただいたお便りを披露してみたい。

最初に北海道・函館市のY村M明サン。

突然のメールで失礼します。
いつも楽しく「生きる歓び」を拝読しております。
今日は突然、「暗い港のブルース」が出てきて驚きました。
この曲は私の思い出の曲なんです。

当時、私は札幌のレストランに勤めていました。
そこへ何人かのアルバイトの女子大生が入ってきました。
ほとんどが夏休み期間だけの短期採用でしたが
私は一人の女性を好きなってしまいました。

一度だけデートをしました。
映画に誘ったのです。
それが何と、J.C.さんがいっておられた「ある愛の詩」で
二度びっくりです。
失恋みたいなかたちではかない夢に終わりましたけど、
彼女のことは今でもときどき思い出します。

働いていた店にジュークボックスがあって
20円か50円か忘れましたがコインを入れて楽しみました。
そこに「暗い港のブルース」があったんです。
彼女の去ったあと、面影を慕いながらよく聴いたものです。

青春時代にスリップさせていただき、
まことにありがとうございました。

こういう便りはうれしいなァ。
実はJ.C.、Y村サンのメールにびっくり仰天したのである。
忘れもしない1972年、
「暗い港の~」がリリースされた翌年だが
芝公園のシティホテルでこちらもバイトをしていた。

ビヤガーデンのはずれに「プリンス ビラ」なる別館レストランがあり、
しばしばその店に配属された。
そこにはやはりジュークボックスが設置されていて
しかも「暗い港の~」がカバーされていたのだ。
そしてY村サン同様、よく聴いたのだった。

いやはや、こんな偶然ってあるんですねェ。
ホントにびっくらこきました。

それにしても1960年代から’70年代前半にかけて
都内の(日本全国だろうが)飲食店には
けっこうな数のジュークボックスが置かれていた。
シティホテルのレストランでさえそうだから推して知るべしだろう。
ジュークが消えていったのは
カラオケが世に現れた’70年代後半だったように記憶している。

=つづく=