2017年7月18日火曜日

第1668話 策に溺れた小肌酢 (その3)

3人の女性たちが切り盛りする大衆酒場「さくま」。
何とか席を確保でき、飲み干すビールの美味さよ!
プッファ~!
ホンの一瞬だが死んでもいいと思う。
いえ、直後に命が惜しくなるんですけどネ。

先刻の「神谷バー」では生のメガジョッキだったが
「さくま」では大瓶をグラスに注いで飲む。
銘柄はどちらもスーパードライ。
浅草はアサヒの縄張りである。

目の前の女性スタッフ、おそらくママの娘さんだろうが
「真っ先に食べていただきたいのは煮込みです」―
かようなひと言。
当店の牛すじ煮込みは名物だからネ。

とかく浅草の煮込みは牛すじの醤油仕立てが多い。
下町でもヨソの地域だと、
圧倒的に豚もつの味噌仕立てとなる。
これには浅草の地域性が反映されているものと思われる。

馬道と大川にはさまれた狭い地域に花川戸なる町あり。
歌舞伎十八番「助六所縁大江戸桜」の主人公、
助六は花川戸の人だ。
ここは履物の一大タウンで履物といえば皮であろう。

浅草の奥の奥、地番なら東浅草や清川辺りには
あまたのシューズ・メーカーが今も営業を続けている。
吉原周辺に馬肉屋、
浅草全域に焼肉屋が多いのもうなずけよう。
皮革と精肉のあとに残るのはスジや臓物。
浅草の煮込みの主流が牛すじである理由がここにある。

オススメに従い、いただいた煮込み。
適度な脂身をたたえて、さすがに名代である。
ハイボールを楽しむ相方を尻目に早や大瓶も2本目へ。
あゝ、死んでもいい。

1962年の米・仏・希合作映画、
「死んでもいい」を思い出すなァ。
ギリシャ悲劇を題材としたこの作品の原題は「フェードラ」で
悲劇のタイトルをそのまんま借用している。

メルナ・メルクーリとアンソニー・パーキンスの許されない愛。
近頃は古き良き欧州の香りに満ちた映画が
少なくなったような気がする。
もっとも大きなことは言えない。
ほとんど観てないんだから―。

すぐに命が惜しくなってつまみの追加である。
ここは両者、慎重に品定めに入った。

=つづく=