2017年9月25日月曜日

第1707話 京王線に乗って (その1)

清張先生のおかげで京王線沿線に視線が動いた。
新宿に近い幡ヶ谷や笹塚ではたびたび飲んだけれど、
明大前より以西となれば、ずっと疎遠になる。
布田や調布は未踏の地ではないものの、
そこで飲食した覚えがないのだ。

鉄道路線図を開いて思案投げ首。
はて、どこで一酌に及ぶかの?
小説「不安な演奏」にたびたび登場する、
布田の町でも歩いてみようかの?
そう思いながら、ふと目にとまったのが高幡不動だった。

調布の先は東京競馬場のある府中。
競馬に興味のない向きには
府中刑務所の所在地といったほうが
通りがいいかもしれない。
何たって日本最大の刑務所だからネ。

高幡不動は府中のそのまた先。
高幡山金剛寺は成田山新勝寺と並んで
関東三大不動の一つに数えられている。
三つめはいろいろと異説があって定かではない。
かくも高名なお不動さまなのに訪れたことがない。

ふ~む、高幡不動ねェ・・・
ここで突然、或る記憶の扉がパッと開かれた。
あれはおそらく1978年かその翌年。
浅草通いを始めた時期で
先日、紹介した「美家古寿司」の初訪もこの年だった。

新仲見世を歩いていてアレは何というのだろう?
最近はあまり見かけないが
繁華街の歩道にマットを敷いて
手造りのアクセサリーやら何やら並べて売ってるヤツ。
きまって胡散臭そうなガイジンが売り子のヤツ。
それに出くわしたのは
ブロマイドで有名な「マルベル堂」の真向かいだった。

手持無沙汰そうな売り子は若い外人女性で
通りすがったJ.C.と偶然に目が合った。
オヤ? いつか見たことのある顔だゾ。
声を発したのは彼女のほうで
「アレ、どこで逢ったかなァ?」―
ちゃんとした日本語である。

問われた当方、瞬時に思い出したネ。
その2年前の1976年。
若きJ.C.は有楽町の免税店に勤務していた。
なんでんかんでん売りさばく現在と違って
当時、扱う商品はカメラ・オーディオ・時計が中心だった。

売れ筋はピッカリコニカ、ソニーのラジカセ、
セイコーのデジタル・クォーツあたり。
それにカシオの計算機なんかもよく売れた。
品薄だったのはニコンの一眼レフ。
カメラ本体もさることながら、
28mの広角レンズにはプレミアムが付いていた。

=つづく=