2018年7月3日火曜日

第1906話 西野監督を見直した! (その2)

先週の土曜日にこの稿を書き上げていたが
少々、加筆しなければならない。
そう、大和の桜が散ってしまった。
それでもつかのま、見果てぬ夢を見させてくれた。
敗軍の援者、兵を語るまい。
 夏草や兵どもが夢の跡
 夢破れて山河あり
 昌子(障子)破れてサンがあり

てなこって、前話のつづき。
オトコ西野の覚悟を決めた英断によって
グループ突破を成し遂げた日本代表。
本人は不本意な決断だったと煮え切らないが
あのコメントはあくまでも建前。
批判派に対するエクスキューズの意味合いもあろう。

ほとんどのメディアの批評はどちらつかずというか、
二股かけた安全運転に終始する姿勢が目立った。
日本のメディアは政権を報ずるときすら力不足だからネ。
もっとも逃げ切りを酷評したロシアのメディアは馬鹿丸出し。
そんなこったからロシアはいつまでもサッカー後進国なんだ。

ここでサッカーとは何か?
ではなく、W杯とは何か?
を検証してみたい。
そもそもグループに分かれた予選リーグと
勝ち抜けの16チームによる決勝トーナメントはまったく別物。
対戦相手に全力を尽くして立ち向かうトーナメントとは異なり、
グループリーグは勝ち点の積み上げが最大の目標だ。

各チームの第3戦(リーグ最終戦)ともなれば
同時進行ゲームの戦況によって
逐一、戦い方を変えるのは必要不可欠。
がむしゃらに同点狙いにいって失点したひにゃ、
0―2で”ハイ、サヨウナラ”が待っているだけ。

ではハナから甲子園の高校野球のように
トーナメント形式にしたらよかろう、というのも無理がある。
くじ引きによる組合わせの運・不運に大きく左右されるし、
長期に渡る予選を突破して
4年に1度の大会に出場したにも関わらず、
初戦敗退ではその国のファンは不完全燃焼、
どうにも納得できまい。
といってテニスのようにシード制を導入するのは不可能だ。

大会を運営するFIFAにしても
試合数を増やして収益を上げ、
出場国への分配金を確保しなければならないハズ。
経験を活かし、英知を集めた末に
現行システムに到達したわけだ。

グループリーグではエクストラタイム(延長戦)ナシ。
逆にトーナメントはたとえ決勝でもPK戦で決着をつける。
PK戦はW杯が産み落とした必要悪と言えなくもない。
かつて日本代表を率いたオシム監督なんか
自チームのPK戦を観ようともせず、
ロッカールームに引き揚げてったもんネ。

終りに老婆心ながらひと言。
それでもなお、ポーランド戦は最後まで
潔く死力を尽くすべきだったという御仁は
絶対に兵隊となって戦地に赴いてはいけない。
戦線に送られたら、イの一番に戦死するタイプだからネ。
お判りかな?