2018年7月30日月曜日

第1925話 インドまぐろの三種盛り (その1)

「らーめん 稲荷屋」でブイヤベース・ラーメンをいただき、
次回、8・9月の限定商品が気になって店主に訊ねると
まだ決定ではないとしながら
おそらく冷たい野菜のポタージュになるとのこと。

ふ~ん、じゃが芋のヴィシソワーズかな?
グリーンピースをふんだんに使った、
ポタージュ・サンジェルマンの冷製だろうか?
冷たい野菜のスープとなれば、
イベリア半島のガスパチョがピンとくるが
あれはポタージュとは言わんわな。

それはそれとして身の行く末であった。
ノガミに戻るか、エンコに往くか
そのことである。
ここでひらめいたのが1軒の大箱居酒屋。
「かのや」といって上野随一の人気酒場、
「大統領 支店」の正面に位置する。

10日ほど前、ここで開かれた飲み会に遅れてジョイン。
メンバーはみな、かなりの酩酊ぶりである。
席に着くやいなや、隣りにいたへべれけのS子嬢が
卓上のまぐろを一切れ箸でつまみ上げ、
「これ美味しいのヨ、ハイ、アア~ン!」と来たもんだ。

当方、紀州の老ドンファンじゃないから
やんわりとお断りしたものの、
なおもアア~ンとやられ、角を立てるのも何だし、
のちのち介護されたときの予行演習もいいかな?
と思って素直に応ずる。
するとビックリ、この赤身が本当に旨かった。
居酒屋のレベルをはるかに超えている。

生ビールが届いたところでメニューをチェック。
どうやらインドまぐろ三種盛りだったらしい。
中とろ・大とろの姿はすでになく、
赤身だけが残されていたようだ。
てなこって、あらたに三種盛りを独り占めしたくなり、
「かのや」の再訪を決断した次第である。

稲荷町から上野に引き返す途中、
浅草通り左手の路地に数軒の日本旅館を見とめた。
そう、かつてここは東京有数の旅館街だったのだ。
敗戦後まもなく、焼け野原に建ち始めた安直な旅館は
東京を訪れる庶民の人気を得ることになる。
中・高生の修学旅行でも大いに利用された。

昭和も30年代半ばになると、
キャパの大きい本郷の旅館に修学旅行生は流れてゆくが
ビジネスマンや観光客の支持を失うことはなかった。
ほとんどビジネスホテル化されたものの、
昭和の匂いが立ち込める懐旧の一画である。

=つづく=