2018年7月11日水曜日

第1912話 墨田の果ての鐘ヶ淵 (その2)

行き交う人とてない鐘ヶ淵の暗く細い商店街。
ポツリと灯りを点すちょうちんは
昭和の酒場、「栄や」である。
ガラスの引き戸を引くと、
先客は四十がらみのサラリーマン風がただ一人。
その彼もわれわれと入れ違いに離店していった。

カウンター内には八十路に足を
踏み入れたと思しき女将が一人。
お歳のわりに動きによどみがない。
日頃、立ち仕事で鍛えているから
体幹がしっかりしているのだろう。
大いに見習うべし。

スーパードライの大瓶をもらった。
こういう店に中瓶は似合わない。
突き出しはにしん昆布巻きがドサッと―。
あれま、こんなには食えないヨ。
自家製じゃなさそうだから残しても文句は言われまい。

生モノもあるにはあるが当店のウリは焼きとん。
カシラを塩、シロとレバをタレで2本づつお願いした。
すると女将曰く、
「レバは豚がなくって鶏なんだけど―」
「ああ、いいッスヨ」
鷹揚に応えたものの、本音は鶏より豚が好き。
まっ、ないものねだりしても始まらない。

焼き上がった串の1本1本はかなり大きく、
皿からはみ出さんばかり。
この店はなんでんかんでんドサッとくる。
あまりつままぬ飲み手にはちょいとツラいものがある。

ほどなく入店してきた近所のオッサンがかつお刺しを注文。
このボリュームがまたスゴかった。
3人前はあるんじゃないかと見まごうほどで
われわれが2人で挑んでも完食はムリだネ。
それでもオッサン、
大量の刻みニンニクとともに平らげちゃった。
世の中にはパワフルな中高年がいるもんだ。

今度は中年女性が単身で現れた。
こちらは客ではなく女将の娘サンだった。
何でも嫁ぎ先の岐阜から里帰り中とのこと。
店の2階に棲む女将と今宵は枕を並べて討死、
もとい、就寝に及ぶらしい。
親孝行なこってす。

みんなで世間話に花を咲かせていると、
頼みもしないのにいかにも場違いなローストビーフが
これもまたドサッときた。
近所の肉屋が持って来たというが、こんなに食えないヨ。
どうにか頑張り、あらかたを胃袋に送り込む。

夜も更けてきた。
そろそろ隅田川の対岸に戻らねば―。
お勘定は3千円でオツリがくる。
墨田のはずれの鐘ヶ淵、安くて多くて平和であった。

「栄や」
 東京都墨田区墨田5-41-9
 03-3610-4592