2020年4月28日火曜日

第2381話 旧東海道をゆく (その3)

鮫洲を通り抜け、立会川に達した。
江戸市内には珍しく坂本龍馬ゆかりの町だ。
この地に土佐藩の下屋敷があり、
外敵に備えて砲台が設置され、
龍馬はその警備に当たっていた。

ここで旧東海道をはずれ、
近くの児童遊園にドヤ顔で屹立する、
ブロンズ像の龍馬の前にしばし佇む。

その後、街道へは戻らず、立会川沿いを上流へ。
友人で馬主の半チャンに教わった、
焼きとん「鳥勝」が川のほとりで時短営業の様子。
小汚ない内観にボロボロの品札が独特の雰囲気を醸し、
呑み助をやさしく包み込む佳店だ。

壁の貼り紙が笑わせる。
トイレは店内のを使え。
帰り掛けに近所で立ちションすると罰金5千円だゾ!
ハハハ、まったくその通り。
開店まで待つわけにもいかず、心を残して立ち去った。

ほとんどが暗渠化された立会川は
目黒区にある碑文谷公園の碑文谷池と
清水池公園の清水池を水源とする河川。
4年前の死体遺棄事件で一躍脚光を浴びた、
碑文谷池の名を覚えておられる方も多かろう。

立会川の最下流に架かる浜川橋を渡る。
別名は涙橋。
かつて、この先に鈴ヶ森刑場があり、
科人にとって橋上は今生の別れ、
身内とも最後の別れ、涙にくれる場所だった。
名の由来は千住にあった小塚原刑場の泪橋と同じ。
鈴ヶ森、小塚原に八王子の大和田刑場を加え、
江戸三大刑場と称した。

その鈴ヶ森刑場跡に到着。
開場は1651年、これまた小塚原と同じだ。
同年、由比正雪の乱に加担した罪で
磔(はりつけ)にされた槍の達人、
丸橋忠弥が処刑第1号とされるが
捕縛の際に殺害されており、
亡骸を運び込んで晒したというのが実状らしい。

その32年後、放火の罪で生きたまま、
火炙りの刑に処せられたのが八百屋お七。
ときに番茶も出花を迎える前の15歳だった。
ほかには平井権八(芝居の上では白井権八)や
白子屋お熊(同・城木屋お駒)、
天一坊などが刑場の露と消えている。

往時は目の前に江戸湾を臨んだ鈴ヶ森。
磔、火炙りのみならず、他の刑場では類をみない、
水磔(すいたく)も執行されていたという。
波打ち際に逆さ吊りにした罪人を
満潮の海水で絶命させるのが水磔。
徳川幕府の仕置きはかくもむごいものだった。

=つづく=