2024年7月31日水曜日

第3591話 「きらく」は気楽なブレイクルーム

神保町で観る映画のあとさきに
しょっちゅうおジャマするのが
第3549話でも紹介した「キッチンきらく」。
その際はチキンライスだった。

以来、さまざまなメニューに挑戦。
よく食べるのが関西風ドッグパンのきらく焼き。
あんこ・クリーム・カレーなどを挟む、
焼きまんじゅうのルーツは
昔、西日本各地にあったカレー焼きである。

15種類ほど揃い、一律250円ながら
仏産発酵バターのエシレ使用のみ500円と
価格倍増になるのは致し方なし。

そのほかの売れ筋はカレーライス。
レトロな味わいの黄色いカレー、
インド風のキーマカレー、
分厚いロースカツ使用のカツカレーのトリオ。
この中ではカツカレーが一番人気だ。

ビールのつまみとして
単品のロースカツを注文したとき、
あまりのボリュームに圧倒された。
これでワンコインなの?
驚いたが、ほどなく700円に値上げされた。
さもありなん。

もう一つの名物が
稲庭うどんから派生した稲庭中華そば。
ラインナップが実に多彩で
醤油・塩・江戸甘味噌のみならず、
担々麺・天津麺・つけ麺・冷やしまで。

天津麺が2600円と断トツで高価なのは
おそらく本物の蟹がふんだんに使われている?
んじゃないかと想像したんだガニ。
高嶺の花に手が届かず、いまだに試せていない。

J.C.が「きらく」に執着する最大の理由は
サッポロ赤星中瓶(750円)の存在。
飲むだけでもイヤな顔をされることなく、
気兼ねせずにくつろげる。
「きらく」は気楽なブレイクルームなのだ。

かつては夜な夜な現れ、
飲み歩いた神保町の知らない魅力に
映画のおかげでふれることができた。
人生何が幸いするか知れたものではありません。

「キッチンきらく」
 東京都千代田区神田神保町1-5
 080-7293-0731

2024年7月30日火曜日

第3590話 大塚銀座の「小倉庵」

ヤケに「小倉庵」づいてしまった昨今。
此度は大塚銀座の「そば処 小倉庵」へ。
14年ぶりの訪れである。
前回はかれいの煮付けで飲んだ。

そのあとそばを食べたか記憶にないが
おそらく食べたのだろう。
調べれば判るけど昔のダイアリーを
引っ張り出す気力が湧いてこない。
年を取るってのはこういうことである。

店内にかすかな見覚えがあった。
13時で先客は単身の男性3人。
土曜のせいか、みな昼間っから飲んでいる。
壁の品書きのビールセットが目に留まった。

ビール・ミニ天ぷら・もり又はかけで1200円。
単品で通すとビールもそばも600円だから
ミニ天ぷらが丸々サービスになる勘定。
脇に通常1550円とあるから350円引きだ。

赤星の中瓶を飲むうちに天ぷらが揚がった。
茄子に南瓜に万願寺唐辛子、いいじゃないかー。
天つゆも添えられ、けしておざなりでない。
ビールのアテにちょうど好い。

もりは声掛けにしておいて赤星をもう1本。
つまみはそこそこ揃っている。
板わさ・みそ田楽・にしん甘辛煮・
あさり玉子とじ・すきやき豆腐鍋。
ソーセージ3種盛りってのだけは
日本蕎麦屋らしくないネ。

かれいの煮付けが見当たらず、
代わりにさば味噌煮があった。
う~ん、さばクンかァ・・・やっぱやめとこ。
結局は薬局、かつ煮好きのJ.C.は
落ち着くところに落ち着いた。

950円の値付けからして
かなり立派なのが来そうだが
当店にミニかつ丼はなく、手立てがない。
案の定、スンゴいのが登場。
かなりのサイズで7切れもあったヨ。
こりゃ晩酌に響いちゃうなァ・・・
悔やみながら口元に運んでいた。

もりまでもがけっこうなボリューム。
そば・つゆともに悪くないけれど
三業通りの「小倉庵」には及ばず、
不本意ながら少々残してしまった。

大塚駅前から錦糸町行きのバスに乗り、
御徒町駅前で降りましたとサ。

「そば処 小倉庵」
 東京都豊島区2-40-10
 03-3942-1314

2024年7月29日月曜日

第3589話 三業通りの「小倉庵」

東上野「小倉庵」からのつながりで
ここ2カ月ほどなじみとなった、
南大塚「小倉庵」を再度紹介したい。
所在地は大塚三業通りだ。

かつて大塚は隣りの大繁華街、
池袋をしのぐほどに隆盛を極めた三業地。
三業は言わずと知れた、
料理屋・待合・芸者置屋を指す。

初回の桜海老かき揚げ(450円)で味を占め、
通い始めたが当店のもう一つの魅力は
月替わりの変わりそば(800円)である。
そばの実の芯を使った更科粉に
さまざまなエキスや粉末を練り込み、
打ち上げるのが変わりそば。

5月は抹茶切りだったので
茶そばをあまり好まないためスルー。
6月のけし切りで香りと食感を楽しみ、
7月の梅干し切りでは
ほのかな酸味を味わった。
来月のだだ茶豆切りにも期待を寄せている。

第3553話 痩せても枯れても桜海老
で書いた通り、
近所の「そば処 小倉庵」ともども2010年に
訪れたものの、両者の関係は定かでなかった。
なじみとなり、接客のオネバさんに訊ねた。

「大塚銀座の『小倉庵』さんとは縁戚関係?」
「いいえ、どちらも山吹町に
 あったお店の暖簾分けなんです」
「ああ、そうだったんですネ。
 じゃあ、ライバル同士で仲が悪いとか?」
「ホホホ、いいえ、会合なんかでも
 一緒になって仲良くしています」
「そりゃ良かった、心配しちゃってー」
「ホホ、これからもよろしくお願いします」
こんなやり取りがあったのでした。

かつ煮好きJ.C.の推しはミニカツ丼。
フルポーションのカツ煮だと持て余し気味。
ミニ丼のごはんは要らないくらいだが
アタマの分目がビールにピッタリ。
逆に避けたいのはミニイクラ丼(700円)で
イクラは高価なため、仕方ないけど
絶対量があまりに少ない。
それを補う鮭のほぐし身は有難迷惑だ。

生粉打ち(細切り十割)、
田舎そば(太打ち十割)、
あいもり(上記の半々)はオール800円。
すべていただいたが当店の最強タッグは
変わりそば+ミニカツ丼に尽きまする。

「小倉庵」
 東京都豊島区南大塚1-42-8
 03-3941-8230

2024年7月26日金曜日

第3588話 せっかくのエビス顔 また曇る

恵比寿「ル・リオン」のサラダはよかったが
いかんせんビールが飲みたい。
表のバス通りに出るとバスが停まった。
反射的に乗り込んだのは田町行きである。

よく立ち寄る駅前の立ち飲み酒場をガマンし、
三田から浅草線で一駅先の大門まで歩いた。
増上寺ではなく芝大神宮に一礼。
立派な神宮なのにいつも参拝客が少ない。
界隈をぶらぶらして大江戸線に乗った。

降りたのは新御徒町。
日本で二番目に古い(東京最古)、
佐竹商店街を流すも「白根屋」無きあと、
翼を休める店が無くなって淋しい。

プラタナスがパリのリュクサンブール公園を
連想させる西町公園のベンチで一休み。
すぐに立ち上がり、歩き始めた。
こんなことをしている場合じゃないんだ。
ガスの補給をせねばならない。

すると右手に「小倉庵」の袖看板が見えた。
最近は南大塚の「小倉庵」にハマり、
何度もおジャマしている。
同じ流れを汲む店に違いない。
よい機会とばかり、引き戸を引いた。

女将と思しき初老の女性が迎えてくれる。
「ビールの銘柄は何ですか?」
「生は無くてエビスなんですが・・・」
ガッビ~ン!

昼間のエビスはしょうがない。
何せ恵比寿の地元だからネ。
それが何でまた上野でエビスなんだ。
せっかくエビス顔になったのに
また曇っちゃったじゃないかー。
ビールでかつ煮を目論んでいたが断念。
もりそばをわびしく注文した。

太いのや細いのや不揃いのそばは二八そば。
コシがあり、香りも立ってなかなか。
さすが自家製粉だけのことはある。
辛口のつゆにも好感が持てた。
飲みものは冷水だけだけどネ。

会計時、女将さんに訊ねた。
「お店は古いんですか?」
「今年で55年目です」
「すごいなァ、ずっとこの場所で?」
「いえ、暖簾分けでー」
「じゃ、早稲田の山吹町から?」
「ええ、本店からですヨ」

都内に何軒かある「小倉庵」のルーツは
すべて早稲田の隣りの山吹町。
55年目だから54年前の1970年。
ん? 東京駅丸ノ内南口でお巡りに
職質を受けた年じゃないかー。

んん? J.C.が早稲田に入った年だヨ。
これを単なる偶然とは思えな・・・
いや、単なる偶然であろうヨ。
あの夏、巷には辺見マリ「経験」と
由紀さおり「手紙」が流れておりました。

「小倉庵」
 東京都台東区東上野3-6-6
 03-3832-7743

2024年7月25日木曜日

第3587話 エビス顔 曇りのち晴れ

この日は渋谷区・恵比寿に現れた。
ビストロ「ル・リオン」を訪れる。
13時を回ったのに席は8割方埋まっていた。

セルヴーズ(女性の接客係)に
ビールの銘柄を訊ねたらエビスの生のみ。
冷たい飲み物が欲しいけどエビスじゃなァ。
「エビスは一番苦手なんだよネ」
「あら、そうなんですか?」
「ボクには重過ぎるんだ」
「ハァ、そうなんですネ」
せっかく来た恵比寿でエビス顔が曇った。

グラスワインは白・赤ともに
ラングドック=ルション。
スプリッツァーも出来るというので
白のそいつをお願いした。

デジュネ(ランチ)はかくの如し。
豚バラ肉煮込み・スズキのポアレ・
牛リブロースのステーキ・リヨン風サラダ・
ハムとグリュイエールのサラダ
サラダはスープ付きである。
決めてあったハムとグリュイエールをー。

冷たいかぼちゃのポタージュを飲みながら
ふと思いつき、セルヴーズに
「此処は恵比寿だよね? 」
「ハイ、そうですが・・・」
「せっかくだからエビスの生を
 飲んでみようかな」
「ハイ、かしこまりました」

結果、やっぱり重たくて苦くてー。
グラスには恵比寿さまが
鯛を抱えてエビス顔と来たもんだ。 

今日はあっちもこっちもサラダだらけ。 
この暑さじゃ、さもありなん。
スイスのグリュイエールは
ハードタイプのチーズでは一番の気に入り。
エビス顔が曇りのち晴れと相成った。

そこへ隣りに座った娘がJ.C.と同じ注文。
パクパクとハイペースだ。
サッと食べてサッと立ち上がる。
ん? んん? 
レタスやラディッキオは完食したが
細切りのハムとグリュイエールを
そっくりハネて残してるじゃないかー。

皿を下げに来たセルヴーズに
思わずつぶやいた。
「何だってコレを注文したんだろうね」 
「そうですよねェ」
 「せめてリヨン風サラダにするとかなァ」 
「ねっ、そうですよねっ!」 

何とも不可解。
近頃の若い娘のやることに
オッサンはついていけませんでした。

「ル・リオン」
 東京都渋谷区恵比寿1-21-16
 03-3445-8131

2024年7月24日水曜日

第3586話 「銀幕の越路吹雪」さらに2作 (その2)

いやはや、お待たせしました。
いえ、実は22日月曜の夕刻。
文京区・谷根千エリアが
ゲリラ野郎の襲撃を受けまして
PCとインターネットが切断され、
接続不能に陥ったのでした。

そこからが大変。
ドコモや ocn をあちこち彷徨って
(実際はたらい回しなんだけど)
ようやく復旧にこぎつけたわけであります。

さて、本題。
神保町シアターにおける越路吹雪特集、
シリーズ4作のラストは「男嫌い」(1964)。
1963年4月から1年間続いた、
人気TV番組(日テレ)の映画版で
主要な役柄はそっくり一緒である。
”ムシる” 、”カワイ子ちゃん” など、
ドラマに出て来る台詞が時の流行語となった。

監督は木下亮。
成瀬巳喜男、川島雄三など、
錚々たる巨匠たちの助監督を務め、
自らの監督昇進第一作が「男嫌い」だ。
TVドラマでは、あの「太陽にほえろ!」を
57話も担当している、

主演は、越路吹雪・淡路恵子・
岸田今日子・横山道代の四姉妹。
そこに末弟の坂本九と
お手伝いの中尾ミエが絡む。
男性陣は森雅之と神山繁。
神山はともかく、森はミス・キャスト。
浮き上がり度があんまりである。

脇役陣も、青島幸男・峰岸徹・名古屋章・
沢村貞子・千石規子など充実しており、
とりわけ「肝っ玉かあさん」の京塚昌子が
懐かしみを生じさせてくれた。

早い話が典型的なナンセンス・コメディ。
木下の悪ふざけもいいところだ。
「男嫌い」は26日(金)までの上映。
メインで併映されている、
「忘れられない90年代映画たち」は
8月2日(金)まで。

翌3日からは新シリーズ、
「太陽族とギラギラの若者たち」。
「太陽の季節」「われらの時代」
「乾いた湖」「青春残酷物語」
「八月の濡れた砂」などが待ち受けている。

J.C.が楽しみなのは
岩下志麻の映画デビュー作、
「乾いた湖」であります。

2024年7月23日火曜日

第3585話 「銀幕の越路吹雪」さらに2作 (その1)

神保町シアターで上映中の「銀幕の越路吹雪」。
全4作のうち残りの2作を観てきた。
1本目は「吹けよ春風」(1953)、
監督は八千草薫の旦那だった谷口千吉。
主演の三船敏郎はタクシーの運転手。
さまざまな乗客とのふれあいを描いた、
セミ・オムニバス仕立てである。

いきなり岡田茉莉子と小泉博の痴話げんかと
車内ラブシーンで始まる。
ホンのチョイ役で観ている方は
完全な肩透かし状態。
何も売れてる二人を使わなくともー。

家出娘の青山京子(小林旭夫人)が可愛い。
東京駅丸ノ内南口のホールで
ヘンなオッサンにまとわりつかれ、
連れていかれそうになるところを
三船が助けるのだが
実はこれとまったく同じシーンを
自ら演じたことがあった。
いえ、J.C.がネ。

あれは1970年、大学に入学した年で
丸ノ内南口の東京ステーションホテルに
かつてあったコーヒーショップでバイトの日々。
閉店後、同僚のGFと飲みに行く約束だった。

ホールの柱の陰に身を隠して眼だけを出し、
待ち構えてあとから来る彼女を
「ワッ!」と驚かせようと潜んでいた。
すると、後ろから肩をポンポン。
振り返れば、制服姿の巡査と来たもんだ。
かくかくしかじかと弁明するところへ
ほどなく相方が現れ、事なきを得た次第也。

ファンにもみくちゃにされる、
人気女優の越路吹雪を日劇前で拾い、
そのまま外苑のイチョウ並木を疾走。
映画「黄色いリボン」の主題歌を三船が
替え歌にしたメモを越路が見て歌い出す。
しまいにゃ三船も参加してデュエット。
彼の歌声を聴いたのはのは最初で最後。

映画「男はつらいよ」の撮影の合間に
妹・さくら役の倍賞千恵子が口ずさむ、
「幸せの黄色いリボン」の歌詞の意味を
山田洋次監督が聞き及び、
「幸せの黄色いハンカチ」が
生まれたというのは有名な逸話である。

刑期を終えた夫・山村聰を迎える妻・山根寿子。
この夫婦と幼子にはホロリとさせられた。
人情味にあふれ、心に残る1作でありました。

=つづく=

2024年7月22日月曜日

第3584話 農水省に肩透かし (その2)

農水省の地下1階。
「あふ食堂」の入口で券売機の前に進み、
あふ魚定食をポチッ。
ヒラメのもろこしバター焼きである。

そうしておいてビール、ビール。
ちょいと見つからない。
イヤ~な予感がした。
機械をどういじくり回しても
ビールにゆきつかないのだ。

サービスカウンターの右側に
暗いスポットがあってのぞき込むと
ビールの空瓶のラックが積み上げられている。
オニジさんが背を向け、机に向かっていた。

「あのぉ、ビールはこちらで買うんですか?」
「アッ、お昼はビールないんですヨ」
ガッビ~ン!
「エッ? 夜も営業してるんですか?」
「ええ、夜は職員だけなんですが・・・」
「ああ、そういうことですネ」
「ええ、そうなんです」
得た情報では小瓶が飲めるハズなのにー。
この肩透かしは強烈だった。

ピークを過ぎて閑散としたフロア。
トレーを運んで四人掛けに着席。
味気ない昼めしと相対の巻である。

内容はヒラメ2切れにコーンの粒々が掛かり、
脇にはトマトとサニーレタス。
自分で択んだ小鉢2つはポテサラに
小松菜・しめじ・油揚げの煮びたし。
味噌汁は豚汁だったが
生姜焼きになりそうな横長の薄切りが
3枚も入っていた。

ごはんも美味しく、さすがに農水省である。
フツーの社食や学食より充実度が高い。
だけどサ、ビールのない昼めしは久しぶり。
こりゃ早いとこ、どこぞに移動して
ガス欠を補給せにゃならない。

ちなみに「あふ食堂」の "あふ" は
ホームページによれば、

Agriculture(農業)、Forestry(林業)、
Fisheries(漁業)and Food(食品)の
頭文字からとりました。

古語では、会ふ(出会う)、
和ふ(混ぜ合わせる)、
餐ふ(食事のもてなしをする)、
という意味を持ちます。

「食の責任官庁 農林水産省」に
ふさわしい食堂づくりを目指し、
国産食材、有機農産物等環境に配慮した食材、
被災地食材を積極的に使用したメニューを
開発しています。

ということだったが
オモテに出たらけっこうな雨降り。
あわてて霞ヶ関駅に逃げ込んだのサ。
「およげ! たいやきくん」みたいにネ。

「あふ食堂」
 東京都千代田区霞が関1-2-1 
 農林水産省本館 B1
 03-6206-7990

2024年7月19日金曜日

第3583話 農水省に肩透かし (その1)

日比谷公園で思案投げ首。
ここでハタと思いついたのは
農林水産省内の食堂だった。
めったなことでは出向く機会のない、
官庁街の霞が関ながら
「あふ食堂」の情報だけは持っていた。

ビールの小瓶が注文可能だし、
つまみに成り得る小鉢がいくつもある。
これなら人生初めて、
霞が関での昼飲みが実現しそうなのだ。

公園を祝田門交差点へ出たら
お濠沿いを少々歩き、
左折して国道1号線、いわゆる桜田通りだが
桜田門を背にして、警視庁を右手、
ドイツ・ネオゴシック建築の司法省を
左手に見ながら、およそ200m直進。
農水省に到着した。

ところがここから少々厄介。
そう簡単には入れない。
まず来庁者受付票に
氏名・住所・電話番号・訪問先・用件を記入。
受付で入館証を貰って首からブラ下げ、
その入館証を関所にビビッとかざして
ようやくステップ・イン。
すぐに左折したら50m以上歩き、
奥の階段にブチ当たって地下に降りる。

食堂入口で最初に出くわすのが
今週の有機野菜ボード。
ザッとこんな具合である。

玉ねぎー北海道 大根ー茨城・千葉 
キャベツー長野・群馬 トマトー熊本・岐阜
ジャガイモー北海道・熊本 小松菜ー栃木

続いて本日のメニューボード。

スペシャル定食 1200円
 すこやか三元豚ヒレステーキ
あふ魚定食 950円
 沼津直送 ヒラメのもろこしバター焼き
日替定食 880円
 豚肩ロースの山葵醤油焼き
日替麺 830円
 東京豚骨醤油ラーメン
週替丼 850円
 豚バラと茄子の味噌炒め丼
週替カレー 800円
 スパイシー黒マサラカレー(雑穀米)
管理栄養士メニュー 830円
 1/2日分の食物繊維が摂れる
 「七穀うどん」サラダ仕立て
小鉢ランチ 680円
 小鉢3種 白米 汁物

以上でした。

=つづくー

2024年7月18日木曜日

第3582話 リュウゼツランが咲いた

一昨日の朝刊に日比谷公園で
テキーラの原料にもなる、
リュウゼツラン(英名:アガヴェ)の花が
百年ぶりに咲いたという記事あり。
さっそく翌日、見に行った。

日蝕だの流れ星だの月面着陸だのには
まったく見向きもしない、
つまんねェ奴が植物には興味を覚える。
動物ほどではないにせよネ。

日比谷公園には恩義を感じている。
若い頃、何度もお世話になった。
此処は絶好のデートスポットで
小遣いに不自由する身には
まさしく救いの神にして地獄に仏。
あの当時、世の中には
神も仏もいらっしゃったのでした。

連休明けとあって人出は大したことない。
それでもそこそこの人だかりが
揃って写メ、写メ、写メと来たもんだ。
まあ、しゃんめいな。
かく言うJ.C.も2~3枚パチリ。

6~7メートルほどの木がスックと立ち、
黄色い花を咲かせていた。
100年に1度なんていうから
みんな有難がってるけど、毎年咲いたら誰一人、
見向きもしないんじゃないかー。

リュウゼツランは漢字で
竜舌蘭と書くが蘭の仲間ではない。
花が蘭のように美しいので名付けられた由。
まったくもって日本人のやることは
時として度を越すことがある。
こういうのを蘭用、もとい、乱用と云う。

100年に1度という通説も事実ではなく、
実際は60年ほどだという。
人は自分で見たものを有難がるあまり、
より貴重なものに崇めて
誇張するクセがあるようだ。
誇張蘭、もとい、
胡蝶蘭なんてのもあることだしネ。

木の下にあった一対のペリカンの噴水が
やけに可愛く、ついでにパチリと1枚。
結局、ランちゃんのそばには5分足らず。
いいんだ、いいんだ、日比谷の竜舌蘭より、
目下、飛鳥山の香蘭が気に入りだからネ。

雨がポツリ、またポツリ。
雨宿りを兼ねてどこかで昼めしと参ろう。
さて、どうするか?
思いを巡らせておりました。

2024年7月17日水曜日

第3581話 行きつけで 雁首揃え 小宴会 

石神井公園、新中野と中華づいてるが
本日も中華に成り申した。
それも飛鳥山の行きつけ、
「豫園飯店」と来たもんだ。

ふた月に一度は相まみえる6人会の最長老、
お局が当店での開催を主張してやまぬため、
実現の運びとなった次第なり。
しょっちゅう来ている店なのに
何も此処で催さなくともよさそうなもんだが
逆らうとあとが怖い凶状持ちにつき、
従わざるを得ないんだ、ジッサイ。

週末の17時に全員集合。
ターンテーブルこそないものの、
窓際の円卓に一同落ち着いた。
実はこの夕べ、J.C.担当のお運びさん、
香蘭も同席してくれる手筈となっていた。

去年の2月に初訪して以来。
30回は訪れてると思うが
夜は初めて、週末も初めて。
彼女が平日の昼しか居ないためである。
それほどの気に入りオバちゃんなんだネ。

ドライの中瓶を注ぎ合って乾杯。
料理は前週のうちに香蘭と相談して
すべて決めてあった。
秀にして逸な点心御三家でスタート。
海老春巻・肉焼売・焼き餃子である。
この3品はいずれも都内屈指の出来映え。
手放しで美味なり。

順序があとさきながらお次は前菜盛合わせ。
くらげ・茹で海老・叉焼が並んでおり、
初めて食べたが、これはイマイチかな?

続いて上海の南に位置する杭州の名物、
豚角煮はいわゆる東坡肉。
「豫園飯店」は上海料理店で
豫園は上海きっての名所。
明の時代に造られた庭園である。

本日の主役、アワビのオイスターソース煮、
蟹肉入り激辛麻婆豆腐、五目かた焼きそば、
あとは何だったっけな?
自分で決めといて忘れちゃったヨ。
甕出し紹興酒をちと飲み過ぎた。

会計は一人アタマ6500円。
みんなして飛鳥山から王子へ坂道を下り、
二次会はカラオケ・ボックス。
夜は平和に更けていったのでした。

「豫園飯店」
 東京都北区滝野川2-7-15
 03-5394-9951

2024年7月16日火曜日

第3580話 こんな中華を探してた

PCをいじくっていてたまたま見つけた、
「ゆずのたね」なる中国料理店。
何が気に入ったのかって、
安いつまみ類が実に豊富なのだ。

安さはもちろんありがたいけれど
値段から察するにサイズが小さいだろう。
コレが何ともありがたや。
守屋浩の歌声が聞こえ始めたが
浪花の小姑が黙っちゃいまい。
ここは自重しときましょう。

所在地はメトロ丸ノ内線・新中野駅そば。
フットワークの軽いJ.C.、翌日には訪れた。
鍋屋横丁のちょい先に店舗はあった。
おや? 和風の佇まいに見覚えがあるゾ。
もう20年以上も前だったと思う。
店先を通りすがったことがある。

開業してまだ5年、
その前は焼き鳥屋だったと聞いた。
カウンターに促され、赤星中瓶を通す。
最初の注文は赤エビの紹興酒漬け(350円)、
白菜のピリ辛甘酢(100円)、
芳醇白レバーの赤酒漬け(350円)。

このうちでは白レバーが最高だった。
レバーだけでなくハートも2個あった。
焼きとんはレバ好きなんだが
焼き鳥となるとハツを好むJ.C.、
意想外の幸運に舌鼓をポンポン。

赤星をお替わりしながら
<本日のおすすめ>より、
名物! 特大しじみの台湾風醤油漬け(680円)。
産地は台湾ではなく三重県・桑名とのこと。
その手は桑名の焼き蛤だがなァ。
いや、このしじみははまぐりサイズであった。

そうしておいて締めの一品は
鮮魚の強火蒸し広東スタイル(680円)。
接客の娘(コ)に魚種を訊ねたら
厨房の店主が振り返って黒鯛との仰せ。
ハタ類なら文句無しだが値段が値段、
黒鯛に異存のあるハズもない。

サカナの下に絹ごし豆腐が敷かれ、
刻みねぎに香菜(シャンツァイ)が1片。
本場で清蒸(チンチェン)と呼ばれるスタイルは
中国人が最も愛する鮮魚料理である。

3760円の会計時に店主と言葉を交わす。
「お近くですか?」
「いや、文京区から」
「エッ? 文京区はどちらで?」
「千駄木だけど・・・」
「エッ? それじゃ『天外天』ご存じですか?」
「ハハ、ウチの向かいなんで何度も行ったヨ」
「エエ~ッ! 私『天外天』で働いてました」
「エエ~ッ! そうだったの?」
会話は続いたけれど、お時間がよろしいようでー。

「ゆずのたね」
 東京都中野区中央3-34-1
 050-1142-5020

2024年7月15日月曜日

第3579話 いつもは洋食 このたび中華

カツオの土佐造りをサッポロ赤星で楽しみ、
すぐ近くの「辰巳軒」に移動する。
洋食&中華の二刀流だが
今まで中華を試したことがない。
常に洋食を食べてきた。

よって本日はカツオで飲みながら考えていた。
(絶対に中華にするゾ、
 ラーメン&餃子で攻めてみよう)
13時半で8割の入り、ドライ大瓶を通した。

2008年に上梓した自著、
「J.C.オカザワの昼めしを食べる」。
「辰巳軒」の稿をダイジェストで紹介したい。

= おすすめ料理:Bセット(780円)=

ときは1951年、無頼派の巨匠にして
狂人の異名をとった坂口安吾が起こした、
ライスカレー大量発注事件。
同じ無頼派の檀一雄宅に居候の身が
何を思ったか100人前を出前注文。
電子トレードによる株式誤発注ではない。
数を認識した上での確信犯である。
おり悪しく居合わせた者は10人にも満たず、
みな果敢に大量の皿に挑んだそうだ。
続々と到着するライスカレーが
庭の芝生にズラリ並べられたという。
100皿もの出前を「辰巳軒」と同じ並びで
数軒先の「ほかり食堂」が助けた。
2軒ともよくぞ今日まで廃業もせず、
生きながらえたものよと感心してしまう。

ラーメン・餃子と思ったものの、
少食派にはムリだと悟る。
肉入り野菜炒め(700円)に逃げたら
5分少々で着卓した。

町中華らしく丸皿にドッサリ。
陣容は、豚ロース・キャベツ・もやし・
玉ねぎ・にんじん・きくらげ。
野菜補給バッチリで
ビタミン&食物繊維を十二分に摂取した。

当店でいつも食べてるBセットは
一口カツ・焼き豚・目玉焼き・ロースハム・
ポテトサラダの盛合わせに清湯とライス。
やはり「辰巳軒」は中華より洋食ですな。

お運びの娘さんに見覚えはないが
厨房の老夫婦は昔のまんま。
いえ、お歳はだいぶ召されたが
お二人ともお元気で何より。
本日もご馳走様でした。

「辰巳軒」
 東京都練馬区石神井町3-17-20
 03-3996-0425

2024年7月12日金曜日

第3578話 再び「雷鳥」に舞い降りた

第3568話に記した通り、
石神井公園の「雷鳥」に舞い戻った。
過払い金の清算を兼ねながら飲むためだ。
担当のハマちゃんはこの日、
フロアではなくキッチンでのお仕事。

前回と同じカウンター席に着き、
赤星の大瓶をお願い。
今日はこのあと、
洋食&中華の「辰巳軒」に廻るため、
つまみは1品だけにしておきたい。
品書きを手に取った。
いきなり目に飛び込んできたのは

本日の魚肴 豊洲直送!
 岩手県大船渡産
 カツオの土佐造り 1078円
 たっぷりの薬味とポン酢で
 お召し上がりください
  オーダーごとに皮目を焼くので
  多少時間がかかります
 
前回いただいた、お魚の煮凝りがよく、
リフレインの手もあったし、
うにいかで軽く済ませてもよかったが
カツオ好きのJ.C.、こうまで言われちゃ
看過などできやしない。
迷いを振り払い、お願いに及んだ。

厚目6切れの上には
青い小ねぎとみょうがが散っている。
下には玉ねぎのスライスだ。
やはりカツオは刺身よりタタキが望ましい。

土佐造りと来たらニンニクは不可欠。
それもおろしではなくスライスである。
ニンニク無しには不満が残るが
食べ進むうちに2枚ほど現れた。
頬ゆるむとも、とても足りやしない。

接客の娘(こ)を呼んで
「厨房にお願いしてニンニクを
 もうちょっと貰ってくれないかな?」
「ハイ、承知しました」
戻って来た彼女が置いた小皿には
スライスが6枚、うれしいなコリャコリャ。

真ん中に穴が開いているのは
緑の芽を取り除いてあるからだ。
一説によるとニンニクの芽は
胸焼けの元になるらしい。

満足しました。
会計時にハマちゃんが出て来てくれて
無事に清算も終了。
どうもご馳走様でした。

「雷鳥」
 東京都練馬区石神井町3-17-12
 03-6913-1596

2024年7月11日木曜日

第3577話 特集・越路吹雪 始まる

旧臘より、行きつけとなった神保町シアター。
6月末からの新シリーズは
「忘れられない 90年代映画たち」。
「就職戦線異状なし」「乳房」「八月の狂詩曲」
「うなぎ」「鉄道員」などが順次、上映される。

ところがJ.C.の興味は極めて薄い。
もっと古い50、60、70年代の映画を好むため、
たかだか30年前の90年代では
まだまだ ”若造” という印象を禁じ得ない。

代わりに並行して催されている、
「生誕100年記念 銀幕の越路吹雪」には
心をわし掴みにされている。
4週で4本、それも毎日昼間の1回限りだが
そのすべてを観るつもりだ。

さっそく前半の2本を鑑賞してきた。
「プーサン」(1953)は市川崑監督作品。
日本映画界きっての怪優、伊藤雄之助が主演。
J.C.は今まで目にしてきたすべての日本人で
顔が一番長いのはこの人だと確信している。

黒澤・三船コンビの最高傑作「椿三十郎」で
城代家老の伊藤が自らつぶやく。
「乗った人より馬は丸顔」
加山雄三はじめ、若侍の失笑を大いに買った。

それはそれとして
横山泰三の漫画を原作とする、
「プーサン」は越路の魅力いっぱい。
この人の素顔をとっくり眺めたのは
たぶん初めてじゃないかな?

お次は「恋化粧」(’55)。
監督の本田猪四郎は東宝の特撮映画を数多く
手掛けた人で印象深いのは第一に「モスラ」だ。

池辺良&岡田茉莉子の悲恋物語は柳橋が舞台。
越路はその花街の売れっ子芸者である。
柳橋を舞台とした映画は
成瀬巳喜男がメガホンをとった、
「流れる」(’56)がつとに有名ながら
当作もなかなかに楽しませてくれる。

実はこの作品、最大の目当ては
越路の下で働く半玉役の青山京子。
市川雷蔵主演の「弁天小僧」('58)で
虜になって以来、ファンを通している。
4年前に亡くなったが
何を隠そう彼女こそ、小林旭夫人である。

10年あまり暮した柳橋。
胸に迫りくるものが随所にありました。
「恋化粧」は明日までの上映。
13日からは「吹けよ春風」(’53)、
20日から「男嫌い」(’64)が
それぞれ1週間づつ、かかります。

2024年7月10日水曜日

第3576話 小伝馬町の蛤だし

最近、蛤・浅利・蜆などを使用した、
貝だしラーメンをよく見かける。
日本橋小伝馬町に柚子の香る、
蛤だしラーメンの美味しい店があると聞き、
出掛けていった。

小伝馬町はかつてよく通った町である。
NYから帰国した当初、
台東区・柳橋を住まいとしたが
勤め先の中央区・日本橋本町へよく歩いた。
柳橋→浅草橋→馬喰町→小伝馬町→本町
てな道筋だった。

江戸時代に伝馬町牢屋敷のあったところで
明治維新の精神的指導者、
吉田松陰は此処で刑死している。
高野長英も投獄されたが火災のどさくさで逃亡。
のちに捕縛される際、自刃して果てた。
牢屋の跡地は現在、十思公園になっている。

それはさておき、
小伝馬町交差点にほど近い「はま家」。
人形町通りの向こう側は十思公園だ。

察するに「はま家」の ”はま” は
蛤の ”はま” なのだろう。
間違っても「芸能人格付けチェック」や
「プレパト」の浜ちゃんではあるまい。

店先に順番待ちが3人。
10分と待たずに入店できた。
L字カウンター8席のみである。
事前に決めておいた蛤のゆず塩そばを通す。

さて、ビールはとー。
おや? カールバーグの小瓶じゃないかー。
北欧系のビールは押しなべて
ちょいと頼りないところがあるけれど
わりと好きなほうである。

麺は細打ちストレート。
塩スープにはけっこう油が浮いている。
どんぶりを彩る具材は
叉焼よりローストポークと呼ぶのが
ふさわしそうな1枚。
姫皮シナチクと青しそオイル、
お茶漬け用のぶぶあられに
サラダほうれん草が2本だ。

スープに貝だしの味わいがあったが
ゆずはいっこうに香ってくれなかった。
まずまず美味しいラーメンながら
それ以上のものではまったくない。

ついでだから以前通ったオフィスビルに
立ち寄ってみたものの、
感ずるものはまったくありませんでした。
まっ、そりゃそうだよネ。

「拉麺 はま家」
 東京都中央区日本橋小伝馬町8-5
 電話:ナシ

2024年7月9日火曜日

第3575話 カニサラダを食ったんだガニ

この日、あてもなく家を出た。
徒歩・バス・電車、どれでもいいや、てな感じ。
不忍通りをふらふら北上し、道灌山通りで右折。
西日暮里駅を通過したらさらに直進。
岩瀬の交差点に到達した。
此処が運命の分かれ道である。

真っ直ぐなら荒川区役所。
右へ行けば三河島、左なら町屋、
ヘアピンで後ろに戻ると新三河島。
いずれも荒川区だが左に取って尾竹橋通り。
町屋駅前の荒川線踏切を渡った。

好きな「山三」の大好きな赤貝セット。
ソイツに狙いを定めたのだ。
赤貝の刺身と細巻きのひもきゅうが
1皿盛りの傑作メニューだ。

ドライの大瓶を飲りつつ、
ブラディ・クラム(赤貝の英語)に
舌鼓を打ち鳴らす。
滋味・風味もさることながら
コリコリの食感がすばらしい。

メニューのカニサラダがやけに気になる。
「山三」は実に真っ当なお店。
ここなら大丈夫じゃないか?
間違ってもカニカマで
代用なんてことはあるまいて。

お誂え向きに(小)サイズがあり、
(大)が820円のところ600円の値付け。
厨房のオジさんに
「(小)だと蟹の量が減るでしょ?」
「いえ、蟹の量は一緒です」
「エッ、ホント? じゃ(小)でー」

こんなことってあるんかいな?
半信半疑でいたらオジさん戻って来て
「あのう、キモチ減るそうです」
「そりゃ、そうだよネ、いいよ(小)でー」

はたして・・・。
とにかく野菜がいっぱい。
フル・ポーションだったら
どんだけー!てなボリュームである。
レタス・きゅうり・ミニトマ・コーンに
紫キャベツと盛りだくさん。
網目模様にマヨナーズが掛かっている。

ズワイのほぐし身も
どうにか許せる量ではあった。
まあ、こんなもんだろう。
満足度は中くらいだったガニ。

「山三」
 東京都荒川区町屋2-4-10
 050-5571-7522

2024年7月8日月曜日

第3574話 タイにも東北地方があった

この日は世田谷区・三軒茶屋へ。
タイ料理が食べたくなって
「イサーン キッチン」に赴いた。
タイ東北部のイサーンは
隣国ラオスと国境を接する地域。
タイにも東北地方があるのだ。

地下ではない1階なのに穴倉みたいな店。
奥の一段下がった席に案内されて
ノコノコ入ったはいいが潜ろうとしたとき、
低い天井に頭をゴツンとぶつけたぜ。
やれやれ、ヤんなっちゃうな。

おまけにランチビールは苦手なプレモルの生。
泣きっ面に蜂とはこのことである。
タイビールのチャーンに逃げようとも思ったが
生ならどうにか飲めるだろう。
何年ぶりかでプレモルを通す。
ボトルよりマシだけど、やっぱり合わないや。

食事はカオ ガイヤーン。
鶏肉のスパイシー焼きである。
生春巻きと長ねぎスープが付いた。
鶏肉そのものより炊き込んだライスが旨い。
カオニャオと呼ばれるもち米は
日本のもち米とはまったく異なる食感。
ジャスミン米より柔らかな炊き上がりだ。

2種あるソースは赤く甘いチリと
ダークで魚醤がプンプン香るヤツ。
これは苦手だ。
J.C.はタイ料理を好むが
不可欠の魚醤は得意としない。

よって卓上のナンプラーなんぞ、
使った験しがないのだ。
すでに料理に使われているぶんには
あまり気にならないけどネ。

デザートのタピオカ・ココナッツミルクを
いただき、懐かしの茶沢通りを歩む。
ほどなく右折して以前、
何度か通ったイタめし屋の跡地へ。
九段に移転して久しいが
まだ営業しているのかな?
調べてやってたら行ってみよう。

池尻大橋まで歩こうかー。
三宿を通り過ぎ、
246(玉川通り)を努めて避けながら
スタスタと往きました。

「タイ東北料理 イサーン キッチン」
 東京都世田谷区太子堂4-27-11
 03-5486-2023

2024年7月5日金曜日

第3573話 こち亀タウンの一番星 (その2)

案の定、あぶらぼうずは美味の極み。
見た目はお世辞にも良いとは云えず、
むやみに馬鹿デカく醜いサカナなれど
この旨さはいったいどこから来るのか?
天はサカナにも二物を与えぬものらしい。

脇に添えられた釜揚げしらすがまた好し。
緑の実山椒がちりばめられて
わが家の塩山椒とまったく一緒。
小さな鰯の稚魚と山椒の相性には
驚くべきものがある。

ここで二人は清酒に切り替えた。
店主オススメの佐渡の雅楽代(うたしろ)。
雅楽と書いて”うた” と読ませる。
そう云やあ、江戸時代にいましたネ。
徳川家康の重臣に
酒井雅楽頭(うたのかみ)という人物がー。
もっとも若い頃は雅楽助だったけど。

この酒が実に美味かった。
味わいに奥行きがあり、鼻腔に余韻を残す。
冷酒のグラスはすぐに空いてお替わり。

先刻から気になっていた、
鰹(かつお)のニンニク醤油を追加する。
血合いなどすべて取り除いた12切れは
深紅の色合いも鮮やか。
これにはニンニクエキスを浸出させた、
醤油に加えて真っ黒に染まった、
ニンニクそのものスライスも。
鮪にはわさび、河豚ならポン酢、
鰹にはニンニクが不可欠である。

続いて笠子(かさご)の酒蒸しあんかけ。
餡には焼き茄子とわらび。
白身が引き立つ一品となっていた。

J.C.は焼酎のロックに移行する。
薩摩の赤兎馬(せきとば)紫は
黄金千貫の代わりに紫芋を使用。
ふくよかな滋味が舌に心地よい。

すっぽん雑炊、北海浅利の炊き込み、
鰹手ごね寿司など、締めのごはんものが
揃ってはいてもすでに二人はマンのプク。
飯の代わりに藻屑蟹の味噌汁を所望した。

お勘定は22600円也。
諭吉翁3枚を予想しただけにこれは事件だ。
「所さん! 事件ですよ」。
ハハハ、2.26だけにネ。
とにもかくにもこれにて
こち亀タウンの一番星が決定したのです。

「いちふじ」
 東京都葛飾区亀有3-15-10
 03-5629-1330

2024年7月4日木曜日

第3572話 こち亀タウンの一番星 (その1)

宵闇せまって現れたのは
葛飾区のこち亀タウン・亀有。
今宵の相方はのみとも・S織だ。
「お久しぶりね」
「ああ、しばらくだネ」
かねてより狙いの「いちふじ」に向かう。

未踏の和食店は亀戸南口のゆうろーどを
ちょいと曲がったところにある。
予約は開店と同時の17時半。
その際に当店の名物、
あぶらぼうずをお願いしてあった。

刺身やしゃぶしゃぶが理想なれど
キープされていたのは西京漬けのみ。
それでも極めて稀少なサカナにつき、
心に満足感が宿った。

ドライ中瓶を注ぎ合ってグラスをカチン。
三点盛りの突き出しは
枝豆、きんとき鯛昆布巻き、磯つぶ貝酒煮。
いずれも上々のスターターである。

下唇が出っ張って素っ頓狂な顔立ちをした、
きんとき鯛は上品な白身。
つぶ貝は肝がバツのグンであった。
たったこれだけで此の店の実力を
推しはかることはいとも簡単。

お次は𩺊(アラ)の刺身。
薄紅色の薄造りが美しい。
繊細な旨みが舌の上に拡がり、
心なしか相方のまなざしもウットリ。
ふむ、よくよく見れば
それなりに色っぽいじゃないかー。

生とり貝の刺身が追いかける。
この貝は下手に茹でるとゴムになる。
生命力の薄い貝は生に限るけれど、
めったにお目に掛かることができない。

鱧(はも)の落としを所望。
当然のように生わさびに加え、
必要不可欠な梅肉が添えられる。
とてもけっこうなれど、
アラと生トリの強力タッグには敵わない。

いよいよ本日の主役にして真打ち、
あぶらぼうずのお出ましである。
1人前2切れなので2人前をお願いした。
焼き始める前の串打ち状態を披露してもらい、
否が応にも胸の高鳴りを覚えたのでした。

=つづく=

2024年7月3日水曜日

第3571話 気持ちを込めた実山椒

先日、京都の錦小路で買った大量の実山椒。
2週間ほど野菜庫に眠らせてしまった。
そろそろやんなきゃな。
とある昼下がり、覚悟を決めて
居間のテーブルにおっ広げた。
絡みつく枝や柄を取り除くためだ。

大仕事につき、卓に置時計を配置した。
スタートは14時15分。
気持ちを込めて一所懸命やっただヨ。
TVなんか観ながらだと、
仕事がはかどらないのでCDを聴きながらネ。

初めに加藤登紀子、それから竹内まりや、
そして西島三重子のお三方に協力してもらった。
ものはついで、彼女たちのマイベスト3の紹介。

「歌いつづけて」「愛のくらし」「灰色の季節」
「シングル・アゲイン」「駅」「最後のタンゴ」
「池上線」「千登勢橋」「目白通り」

以上でありまする。

それはそれとして気持ちを込めた作業が
終了したのは16時35分と来たもんだ。
実に2時間20分が経過していた。
ボールの冷水にさらした粒々をざるに上げ、
しばらく放ったらかし。
乾いた頃合いを見計らい、再び厨房に立つ。

実山椒を長く保存する手立ては二つ。
塩で煮るか、醤油で煮るか、
ほかにもあろうが、それしか知らない。
塩は塩だけで、醤油には砂糖も加える。

上手に煮上がった。
塩煮は白瓜と相性が好い。
醤油の方は何と言っても煮魚である。
秋刀魚なんかピッタリで
それ以上に合うのはうなぎ蒲焼きだ。

その翌日、醤油煮を活用し、
ちりめん山椒を作ってみた。
塩煮は釜揚げしらすと合わせて
ちりめん山椒のホワイト版だが
日本酒とは相思相愛の間柄になる。

自宅でうなぎは滅多に食べないから
どうしても外になる。
その際、気持ちを込めた実山椒を
ピルケースに10粒ほど忍ばせて持ち込む。

焼き上がった蒲焼きにパラパラパラ。
卓上の粉山椒なんか目じゃない。
今日から自家製実山椒ナシで鰻屋の敷居を
跨ぐことはなくなるでしょう、間違いなく。

2024年7月2日火曜日

第3570話 師匠のイタリアンをイタだく (その2)

トルナーレ日本橋浜町の「アル ポンテ」。
無類の仔牛好きJ.C.は迷うことなく、
そのステーキランチをお願いする。
相方はワンプレートをセレクト。

突き出しのキャロット・ラペは
伊ではなく仏の印象が強い。
当店の原シェフはもともと
フレンチを志しており、その名残りだろう。
よって、パンもバゲット&バター。

網目模様も美しく焼かれた仔牛は薄切り。
メニューには仏語のパイヤールとあるが
伊語ではパイヤルドが正しい。
焼いたポテトにルッコラ&ラディッキオ。
レモンを搾っていただき、文句無し。

O戸サンは魚介と野菜のフェデリーニに
鶏胸肉グリルのナス&トマトソース。
これまた、まことによろしい。
ドルチェを所望した相方の注文は
りんごパイ&ピエモンテ風プディング。
原シェフが直々にサーヴしてくれた。

当然ながらここで話題は銀座の料理教室。
いや、実に懐かしい。
二人で食後のエスプレッソを味わい、
会計は8500円ほど。
見送りに出てくれた師匠と重ねて談笑。
料理教室はいまだに続いていて
当時は男といえばJ.C.独りだったが
現在は男性も多く、遊びに来てと誘われた。

さんとも・O戸サンと ”飲む・食う” は済んだ。
あとは ”歌う” が残るのみ。
谷中はよみせ通りの行きつけ「G」へ移動。
おや? 店先に選挙カーが停まっている。
おっと、蓮舫じゃないかー。

ドライバーが手持無沙汰につき、素通りで入店。
ところがギッチョン、満席で入れなかった。
しょうがないから
日暮里のカラオケボックスにでも流れるかー。

選挙カーの運チャンに
「蓮舫サンは来てるんですか?」
「ええ、夕焼けだんだんで演説中です」
ちょうどいいや、日暮里駅への道筋である。

谷中銀座の前方から白いスーツの彼女が
群衆と握手しながらやって来た。
そこへ割って入ったJ.C.、
「レンちゃん、ぼくダヨ、シンちゃんだヨ。
 TBSの『アクセス』の・・・」
「わっ、久しぶり、なんで此処に?」
「近くに棲んでるんだ」と手を握る。

TBSのラジオ番組「アクセス」に週一度、
電話出演していたときのMCが蓮舫。
シンちゃん・レンちゃんと呼び合う仲だった。
20年も昔のことである。
「応援してるから頑張ってネ」
「うん、ありがとう!」
両手でハイタッチし、手を振った。

それにしても20年ぶりに相まみえる御仁と
たかだか1時間のあいだに二人。
これを単なる偶然とは思えぬ自分がいたのは
当たり前じゃござんせんか?
エッ? 皆の衆!

「アル ポンテ」
 東京都中央区日本橋浜町3-3-1
 トルナーレ日本橋浜町2F
 03-3666-4499

2024年7月1日月曜日

第3569話 師匠のイタリアンをイタだく (その1)

この日の相方は
飲む・食う・歌うのさんとも・O戸サン。
「今回は料理のジャンル、
 リクエストにお応えするヨ」
申し出たら、イタリアンがいいと云う。
おまけに日本橋の奥の方が面白そうだとも。
何だ、なんだ、
エリアまで択べとは云ってないぜ。

でも、願いを叶えてやることにした。
日本橋の奥ってことは
三越や高島屋が幅を効かせる、
表通りじゃないってことだな。
人形町・浜町・蛎殻町あたりなんだろうヨ。

ピンと来る店が1軒あった。
「アル ポンテ」は10年ほど前に高層ビル、
トルナーレ日本橋浜町に
近所から移転したイタリアンの名店である。

実はJ.C.、20年も以前、
当店の原シェフが銀座で主宰する、
イタリア料理教室に何度か通った。
ずいぶんご無沙汰したが彼のお弟子さんの店、
浅草雷門そばの「カリッシィマ」へは
去年の秋、ストックホルムの盟友、
S水クンと一緒に出掛けた。

明治座の正面玄関で落ち合う。
以前は甘酒横丁に近い、
「浜町 藪そば」のそばだったから
近代的ビルの2階に移った今は
ガラリとイメージが変わった。
奥の窓際の上席に通され、気分よく着席。
電話予約した甲斐があったというものだ。

ビールはモレッティだったハズ。
マダム(奥様かどうかは不明)に訊ねると
現在は同じイタリアのペローニ。
スーパードライの中瓶もあるとのこと。
ここは当然、ドライでしょ。
小瓶より飲み出があるしネ。

相方のグラスが泡だらけ。
マダムから奪うようにボトルを預かり、
静かに静かに手酌する。
そうしておいておもむろに乾杯。
昼のメニューを紹介してみよう。

パスタランチ 1100円
ワンプレート ランチ 1870円
仔牛のステーキランチ 3300円
今月のランチ 2970円
アル ポンテ ランチ 4400円

J.C.のオーダーはすでに決まっておりました。

=つづく=