2012年7月25日水曜日

第367話 1960年3月20日 (その1)


出し抜けに年月日のサブタイトルで失礼サンにござんす。

それよりも昨日のイチロー電撃移籍にはビックリ。
以前から、なぜマリナーズに居続けるのか?
このままシアトルに骨を埋めてしまうのだろうか?
そんな思いを引きずっていただけに
グッドニュースに違いはないけれど、
惜しむらくは遅きに失した感否めず。
しかし、過去を振り返っていても仕方ない。
今はただ、Wシリーズ制覇にまい進してほしい。

と、TVで観戦しながらここまで書いたら
ヤンキースでの初打席でヒットを打ったヨ。
あらら、今度は盗塁を決めちゃったヨ。
生半可なこっちゃ、できない芸当だぜこりゃ。

さて、今をさかのぼること52年、
1960年3月20日、日曜日のことである。
半世紀も昔なのにこの日のことは実によく覚えている。
日付の特定までできるのは一つのスポーツイベントのおかげだ。
そう、昨日のブログの幕切れでもふれたが
栃錦VS若乃花の楽日全勝対決であった。
熱戦の末、若乃花が寄り切って全勝優勝を遂げる。

しばらく思い出話におつき合い願いたい。
当時J.C.は小学2年生で、3年生になる直前だった。
街には「黄色いさくらんぼ」と「黒い花びら」が流れていた。
子どものくせによく口ずさんだからマセたガキだったんだねェ。

その日は父親と二人で出掛け、母と弟は留守番。
向かったのは銀座のヤマハである。
3年生から音楽の授業で使うハーモニカを買うためだ
購入後、銀座をブラブラしたあと、地下鉄に乗った。
行き先は父親が好きだった浅草。
どうやら息子の浅草好きは親譲りらしい。

昼めしは花やしき近くの和食堂。
食べたのは一桶のにぎり鮨だ。
うれしかったのは父親が注いでくれたコップ1杯のビール。
めったにありつけないビールはサイダーやプラッシー、
ましてや渡辺のジュースの素よりずっとうれしいものだった。

まだ陽は高いところにある。
奥山、本堂、仲見世を経て六区にやって来た。
映画がTVにじゅうりんされる前だから
六区興行街の繁華なこと、とても現在の比ではない。
何を思ったのか、ひょっこり飛び込んだのが今はなき新世界だ。

=つづく=