2012年7月26日木曜日

第368話 1960年3月20日 (その2)

浅草六区の新世界に入館するわれら親子。
と・・・このときであった。
買ったばかりのハーモニカがないことに気がついたのは!
ハーモニカなんかスラれるわけないから置き忘れに違いない。
さすれば鮨を食べた食堂だろう。
あわてて舞い戻ると、店のオバちゃんが預かってくれていた。
やれやれ、である。

そうして入った新世界は
瓢箪池の埋立て地に建った奇妙奇天烈なビルヂング。
1959年から’74年までの短いイノチだったが
中には大食堂や大宴会場、はたまた温泉大浴場もあった。
何でも”大”なのである。
おまけに大キャバレーまであったのだ。

大宴会場の一角で民謡やら踊りやらを見聞きした記憶がある。
それから確か地下だったかな、大浴場でのんびり入浴。
湯上りの休憩室で観たのが栃若対決という次第。
このタイミングでなければ日付の特定は不可能だったろう。

勝敗の結果は先述した通りだが
翌日の新聞に載った勝者・若乃花の談話が面白いので
紹介してみたい。

昨日はリラックスしようと、映画館に入ったんだ。
そしたら前のほうの席でチョンマゲ姿が見える。
よく見たら栃関だった。
やっぱり同じ心境なんだなと・・・。
映画が終わったらすぐに出たよ。

ねっ? 面白いでしょ? こんなことってあるんですなァ。

新世界をあとにした親子が次に訪れたのは映画館。
定かではないが、おそらく電気館ではなかったかな?
観たのは3本立てだ。
K・ダクラスの「バイキング」とJ・ウェインの「赤い河」は
ハッキリ覚えており、最近ともに再見した。
入館した際に終わりかかっていたもう1本が思い出せない。
ジャングルの中をヒョウが徘徊したりして
ドキュメンタリーの動物映画だったように思う。

居眠りもせずに観た映画がハネると、空腹感が襲ってきた。
親父に連れられて行ったのは「菊水」なる焼きとん屋で
場所は当時あった仁丹塔の裏手あたり。
お好み焼き「染太郎」の70メートルほど先になる。

カウンターに並んで食べるシロとレバーの旨かったこと。
ここでもビールのおすそ分け(なんてモンじゃなかった)があり、
さすがに歌は出なかったものの、幼きJ.C.、もうごキゲンである。
掘っ立て小屋みたいだった「菊水」はその後、
大きなビルになって屋号も「菊水道場」を名乗ったが
とっくの昔に消えた。
今は菊水通りとしてストリートにその名を留めている。

のんきなごキゲン親子は千鳥足で帰路に着く。
田原町が最寄りなのに
始発駅から座って帰ろうと思ったものか浅草に向かう。
雷門の前まで来て再びハタと気がついた。
ハーモニカがない! 
子が子なら親も親で、二人ともバッカじゃねェのっ!

かくして8歳と54歳が夜の街を走った、疾った。
女ねずみ小僧も真っ青だろうヨ。
浅草に土地カンのある人ならお判りだろうが
距離がけっこうあるんだな、これがまた。
ブツはカウンターの下で無事だったけれど、
J.C.が常日頃、まず荷物を持たないのは
このときのトラウマのせいである。