2015年8月6日木曜日

第1158話 池波翁の「銀座日記」 (その5)

(夏の終り)

連日の猛暑。
少し元気をつけようとおもい、
第一食に薄切りのビーフ・ステーキを食べる。
買い物がたまったので、午後から銀座へ出かけ、
レコード・画材・本・薬などを買い、
[Y]でざるそばを食べる。
夕景に帰宅したが、ざるそばを食べたので、
すぐには食べられず、夜がふけてから粕漬のタラコと
ジャコに大根おろし、瓜の香の物で御飯を一杯食べてから
自分の文庫本の装丁をやる。
ベッドへ入ってから、ふと気がついた。
きょうは、まったく酒もビールものまなかったのだ。
何十年ぶりのことだろう。

文中の[Y]は[よし田]のことだろう。
あまり感心しないコロッケそばが有名だが
やはりそばのデキは今ひとつ。
ただ、これだけの空間を保つそば屋は銀座にはほかにない。
しいて挙げれば「泰明庵」だろうか・・・。
夕飯の献立はいかにも夏の家めしといった感じ。
タラコに瓜ときて、冷たいビールを飲み忘れるなんて
翁もヤキが回ったのかも。
その点、J.C.は半世紀近く、飲まない日はございやせんネ。
エッ、単なるアル中だろうが! ってか?
ほっとけや。

(フランス旅行)

昨日の夕方に、フランスから帰国し、
きょうはヘラルドで[スワンの恋]の試写を観る。
地下鉄で新橋へ出るまで、何の危惧も不安もなく、
のんびりとしていられるのが嘘のようだ。
いまのパリは危険にみちているそうな。
私たちは、つつがなく二十日間の旅を終えたが、
例によって、ほとんど夜は出歩かないようにした。
もっとも安全だといわれていた十六区のパッシーあたりでも、
いまは白昼から、若い女が頸の急所をナイフで切り裂かれたりする。

おや、おや、物騒な。
1983年の旅行だから、ミッテラン政権下と思われるが
この頃のパリはちっとも危険な感じがしなかったけどなァ。
第一、ほとんど夜に出歩かないんじゃ、パリを訪れた意味がない。

J.C.が初めて十六区のパッシーを訪れたのは1995年。
週末にデジュネを食べたが、一画は平和そのものだった。
まだ還暦前なのに翁の臆病風はいったいどうしたことだろう。
嘆かわしいとしか言い様がないじゃん、ジャン・バルジャン。
あゝ、無情。

=つづく=