2015年8月7日金曜日

第1159話 池波翁の「銀座日記」 (その6)

(風邪のち痛風)

昨日の朝、起きたら身体の節々が痛い。
何年ぶりかで風邪にやられたのだ。
鍼を打ちに出かけ、帰宅してからはベッドへもぐりこんだままだった。
今朝は発汗して目ざめる。
大分よいようだ。
昨日は白粥に梅干しだけだったが、きょうは、いきなりカツ丼にする。
夜は姪が来て、牛肉と野菜の西洋おでんをつくる。
あとは蠣御飯。
ベッドでテネシー・ウイリアムズの短篇集を読む。
いずれも粒揃いの凄い短篇ばかりだが、
中でも[呪い]の一篇は、
私のように長らく猫と暮らしてきた男にとっては何ともたまらない。
人の世に傷つけられ、、もはや絶望のみとなった若者ルチオと
牝猫ニチェヴォが相抱いて、川へ入り、自殺をとげるはなしだ。
灯を消してから、私より先に病死していった飼猫たちを
つぎつぎにおもい起こしてみる。
私が子供のときからの猫を数えると、
おもい出しただけでも十七匹になるが、実際はもっといたろう。

うう~ん、猫かァ。
師匠には到底かなわないけれど、
こちらとて一匹の牝猫とかれこれ10年以上も同棲している。
感謝こそすれ、彼女に対する不平・不満は一切ない。
おかげでもともとは犬派だったのに
今じゃ、丸っきりの猫派と相成ってしまった。

ウイリアムズの[呪い]は未読。
しかしながら、人に裏切られて絶望の淵に立ったルチオが
愛猫とともに入水するハナシは衝撃的に過ぎた。
人と猫のあいだには、ある種のカタルシスが生ずる気がする。
相方が犬ではとてもこうはゆくまい。

わが家のボケ猫・プッチはただ今11歳。
ボケ猫ながら、なかなかの飼い主孝行で
幼いときの不妊手術を除くと、これまでまったくの医者要らず。
己の身の健康を謳歌している。
面倒くさがり屋の飼い主にとって、これ以上の名猫はござらん。

(川口松太郎氏のこと)

ことわりきれぬ用事で信州に向かう。
昨日は数年ぶりで善光寺門前の[五明館]へ泊まった。
この宿へ、はじめて泊まったのは約三十年も前のことだが、
ずっと係の女中さんだったおときさんが一ヶ月ほど前に
七十五歳で亡くなったことを知らされる。
おときさんは数年前に引退をして、
息子さんが建てた家へ引き取られ、
あひあわせな晩年を送っていたが、私が[五明館]へ泊まると、
わざわざ顔を見せに来てくれたものだ。

=つづく=