2015年8月19日水曜日

第1167話 池波翁の「銀座日記」 (その14)

美空ひばりが亡くなったのは1989年6月24日。
同年1月にリリースされた「川の流れのように」は
本人も驚くほどの大ヒットとなった。
それはそれとして・・・
「銀座日記」を読み進めよう。

当時、人気歌手だった笠置シヅ子の物真似唄だったが、
その達者さには瞠目したものだ。
ひばりは、まだ子供で、私は二十代の前半だった。
いまさらに、この四十余年の歳月を想う。

ここでちょっと寄り道をし、
稀代の大歌手にスポットライトを当ててみたい。
自著「文豪の味を食べる」から彼女の稿を。
 
松葉寿司」

港町 重入りランチ

美空ひばりは思い出深い歌手である。
個人的にファンと呼べるほどの思い入れはないが
心惹かれる気に入りの曲はけして少なくはない。

そんなことより、1960年代のわが両親の論争である。
「ひばりの佐渡情話」を第一と位置づける父親に対して
「悲しい酒」をベストと言い張る母親がいた。
夫婦ゲンカになるほど議論がエスカレートすることはなくとも、
わが親ながら、ともに強情なツガイであった。

上記二曲に共通するのは曲全体を覆う哀愁。
当然、調べはマイナーコードで綴られている。
子どもの頃からずっと聴かされてきたおかげで
自分の好みもメジャーではなく、
マイナーばかりになってしまった。

「越後獅子の唄」、「津軽はふるさと」、「みだれ髪」、
好きな曲を挙げると、揃いも揃ってみなそうだ。
論争の対象となった二曲にも、それぞれになじんでいる。

そんなわけでレコード売り上げの上位を占める、
「柔」、「川の流れのように」、「港町十三番地」あたりの、
メジャーコードには心惹かれることがない

ちなみに古賀政男作曲の「悲しい酒」は
もともとテンポ早めでノリのよい曲を
ひばりが古賀にお願いして”悲しい唄”に転換させたものだ。

J.C.にとって、ひばりのベストはあいにくヒットしなかった。
ほとんど無名に近いその曲の名は・・・
へへへ、ソイツはのちほど明かすことに致しましょう。

=つづく=