美空ひばりが亡くなったのは1989年6月24日。
同年1月にリリースされた「川の流れのように」は
本人も驚くほどの大ヒットとなった。
それはそれとして・・・
「銀座日記」を読み進めよう。
当時、人気歌手だった笠置シヅ子の物真似唄だったが、
その達者さには瞠目したものだ。
ひばりは、まだ子供で、私は二十代の前半だった。
いまさらに、この四十余年の歳月を想う。
ここでちょっと寄り道をし、
稀代の大歌手にスポットライトを当ててみたい。
自著「文豪の味を食べる」から彼女の稿を。
同年1月にリリースされた「川の流れのように」は
本人も驚くほどの大ヒットとなった。
それはそれとして・・・
「銀座日記」を読み進めよう。
当時、人気歌手だった笠置シヅ子の物真似唄だったが、
その達者さには瞠目したものだ。
ひばりは、まだ子供で、私は二十代の前半だった。
いまさらに、この四十余年の歳月を想う。
ここでちょっと寄り道をし、
稀代の大歌手にスポットライトを当ててみたい。
自著「文豪の味を食べる」から彼女の稿を。
「松葉寿司」
= 港町 重入りランチ =
美空ひばりは思い出深い歌手である。
個人的にファンと呼べるほどの思い入れはないが
心惹かれる気に入りの曲はけして少なくはない。
そんなことより、1960年代のわが両親の論争である。
「ひばりの佐渡情話」を第一と位置づける父親に対して
「悲しい酒」をベストと言い張る母親がいた。
夫婦ゲンカになるほど議論がエスカレートすることはなくとも、
わが親ながら、ともに強情なツガイであった。
上記二曲に共通するのは曲全体を覆う哀愁。
当然、調べはマイナーコードで綴られている。
子どもの頃からずっと聴かされてきたおかげで
自分の好みもメジャーではなく、
マイナーばかりになってしまった。
「越後獅子の唄」、「津軽はふるさと」、「みだれ髪」、
好きな曲を挙げると、揃いも揃ってみなそうだ。
論争の対象となった二曲にも、それぞれになじんでいる。
そんなわけでレコード売り上げの上位を占める、
「柔」、「川の流れのように」、「港町十三番地」あたりの、
メジャーコードには心惹かれることがない。
ちなみに古賀政男作曲の「悲しい酒」は
もともとテンポ早めでノリのよい曲を
ひばりが古賀にお願いして”悲しい唄”に転換させたものだ。
J.C.にとって、ひばりのベストはあいにくヒットしなかった。
ほとんど無名に近いその曲の名は・・・
へへへ、ソイツはのちほど明かすことに致しましょう。
=つづく=
個人的にファンと呼べるほどの思い入れはないが
心惹かれる気に入りの曲はけして少なくはない。
そんなことより、1960年代のわが両親の論争である。
「ひばりの佐渡情話」を第一と位置づける父親に対して
「悲しい酒」をベストと言い張る母親がいた。
夫婦ゲンカになるほど議論がエスカレートすることはなくとも、
わが親ながら、ともに強情なツガイであった。
上記二曲に共通するのは曲全体を覆う哀愁。
当然、調べはマイナーコードで綴られている。
子どもの頃からずっと聴かされてきたおかげで
自分の好みもメジャーではなく、
マイナーばかりになってしまった。
「越後獅子の唄」、「津軽はふるさと」、「みだれ髪」、
好きな曲を挙げると、揃いも揃ってみなそうだ。
論争の対象となった二曲にも、それぞれになじんでいる。
そんなわけでレコード売り上げの上位を占める、
「柔」、「川の流れのように」、「港町十三番地」あたりの、
メジャーコードには心惹かれることがない。
ちなみに古賀政男作曲の「悲しい酒」は
もともとテンポ早めでノリのよい曲を
ひばりが古賀にお願いして”悲しい唄”に転換させたものだ。
J.C.にとって、ひばりのベストはあいにくヒットしなかった。
ほとんど無名に近いその曲の名は・・・
へへへ、ソイツはのちほど明かすことに致しましょう。
=つづく=