2012年6月8日金曜日

第334話 寝転んで「現代」 (その2)

「古き良き東京を食べる」の「多古久」の稿である。

=シャコ爪に往時がよみがえる=

明治37年創業、東大前の「呑喜」に遅れること17年、
東京で二番目に古いおでん屋がここ。
初めて訪れたのは四半世紀以上も前だ。
食べ歩きに目覚め、美味しいものを探し求めて日が沈むと
都内各所に出没していた、懐かしくも楽しい時代だった。
記憶が確かならば、当時この店は20時過ぎに店を開け、
23時頃には暖簾をしまっていたように思う。

大きな銅鍋の前には亡くなった先代がどっしりと構え、
入り口近くに女将さんが陣取って、
客はおそるおそる女将の顔色をうかがいながら、
入店の許可をもらうのだった。
何せ、虫の居所が悪いと空席があっても入れてくれないから
客はまるで箱根の関所か、J.F.ケネディ空港の入国管理局を
通過するときのような心細い気持ちになったものだ。

20年ぶりにおジャマしたのは2001年11月。
すでに店主の姿なく、大鍋を取り仕切るのは忘れ得ぬ大女将。
昔の面影が残っていても心なしか角が取れたように思う。
まずは褒紋正宗の熱燗と小肌酢。
甘酸っぱい小肌は好きだが、わさびがニセモノ。
先代はシャコ爪にも本わさを添えてくれたけれど・・。
いや、本当はポン酢だったのだが
あえてわさびをお願いしたら怪訝な顔をされながらも
醤油の小皿とともに出してくれたのだった。
おでんの白滝・つみれ・ふき・牡蠣はみな花マルで言うことなし。

一夜、「呑喜」のあとに、おでんのはしごを試みた。
東大農学部前からタクシーで暗闇坂を走り降り、
不忍池のほとりのこの店へやって来た。
すでにキンシ正宗のせいで酔いが回っている。
それでもなお、褒紋正宗のぬる燗。
〆さばが上々だ。
ここでシャコ爪がスッと出されたのだった。
オケラのシャベルのような爪に、一瞬にして往時がよみがえる。
月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり。

伊集院サンのコラムのサブタイトルは
「ある人に捧げた一枚の色紙」。
現時点で彼が生涯に書いた、
たった一枚の色紙が彼女へ捧げたものなのだ。

今頃、女将さん、
あの世で再会した親父サンにいびられてないかな?
「オメエ、あのモノ書きにぞっこんだったんだろ?
  いい歳こいて若いオトコを追い掛け回しやがって
  みっともねェとは思わねェのかい!」―
ハハハ、まずその心配はなさそうだ。
亭主の生前から女将のほうが威張ってたからネ。

とここまで書いて今週号に移ろうと思ったものの、
も一つ看過できない記事があった。
福田和也サンの「旅と書物と取材ノート」。
女優・杉村春子のお出ましである。

=つづく=