2014年7月7日月曜日

第875話 なぜに演歌は北へゆく? (その4)

働きに働いた1972年バイト先は
東京五輪の年に開業した東京プリンスホテル。
夏場はずっと、ビヤガーデン勤務である。
往時、このホテルのビヤガーデンは都内の最高峰。
かなりコンパクトになるけれど、
御茶ノ水にあった「コペンハーゲン」がそれに続いた。

何せ、東プリのガーデンは
芝生の上で生ビールが飲めるんだからネ。
増上寺の境内だった広大な土地を
小ずるく買収してせしめたものだから
駐車場にしたってぜいたくにも青空の下だ。
都心のホテルでそんなマネができたのはこのホテルのみ。
芝生から夜空を見上げれば
東京タワーがくっきりと、その雄姿を見せていたっけ―。

1972年9月。
季節もののビヤガーデンがクローズしたあと、
5日ほど休暇をとって京都を旅した。
ちょうどミュンヘン五輪の開催中だ。
京都の旅館で夜中に観た男子バレーボールの準決勝、
日本VSブルガリアの一戦は今もまぶたから消えることはない。

J.C.は京都に行ってもあまり名所旧跡や古刹を訪ねることをしない。
祇園や新京極をあてもなくぶらぶらするのが好きである。
ぶらぶらにも限度があるから、
バー「サンボア」の止まり木に止まったり、
ビヤホール「ミュンヘン」のテーブルにくつろいだりしてるけど―。

その午後はバレーボールのおかげで
寝不足のまま錦小路を行ったり来たり。
翌日東京へ帰るため、
車内で缶ビールの友とするつまみや弁当の物色にいそしんだ。
当日の調達では時間が気になって
おちおち品定めをしていられないからネ。

とある川魚専門店で琵琶湖産モロコの串焼きを2本。
それと、どこの産だか聞きそびれた、
うな重を翌夕のピックアップで予約した。

心晴ればれ新京極を闊歩(かっぽ)する。
すると、通りすがったレコード店から
聴き覚えのある曲が流れてきた。
耳をすませばジャズにアレンジされた、
「モスクワ郊外の夕べ」じゃないか。

大好きな曲の演奏はアル・カイオラ楽団。
トランペットが耳朶に響いて快感をもたらしてくれる。
何年かのち、突如として聴きたくなり、
あちこちレコード店をあたったが、
ついに見つからず、今だに聴けていない。
悔やまれて悔やまれて仕方がないんだヨ、これがっ!。

=つづく=