2014年7月21日月曜日

第885話 言葉がとても見つからないわ (その5)

1994年のアメリカ大会はW杯史におけるエポック・メーキング。
サッカー不毛の地、北米大陸にワールドカップが上陸したのだ。

ニューヨーク在住のJ.C.は
ニュージャージーのジャイアンツ・スタジアム(だったと思う)で
予選リーグではあったがイタリアVSノルウェーを観戦した。
あとにも先にも生で観たW杯はこの一戦のみ。

ちなみに五輪で観たサッカーは
東京五輪のハンガリーVSモロッコ戦だけだ。

さて、そのイタリアの対ノルウェー戦。
開始直後にイタリアGKの反則でPKをとられた挙句、
本人は一発退場の巻である。
イタリア派としてはガックシもいいところ。
GK抜きでは戦えないので
代わりに下げられたのが何とバッジョときたもんだ。
イタリア派はみなふてくされたぜ。
まあ、何とか追いついて引き分けには持ち込んだがネ。

アメリカ大会では二人のファンタジスタが世界を魅了した。
かたやブラジルのロマーリオ、こなたイタリアのバッジョ。
両者相まみえた決勝戦は灼熱地獄の中、
まさに真昼の決闘であった。

その熱戦の模様を伝えた記事があるので抜粋して紹介しよう。
そう、当時、読売アメリカに連載していたマイ・コラム、
「J.C.オカザワのれすとらん しったかぶり」である。

ロベルト・バッジョの蹴ったボールがバーの上を越えた瞬間に
イタリア代表の熱い夏は終わり、
冬のブラジルは歓喜に包まれた。

守りに守って守りぬくイタリアに
攻めても攻めてもゴールを割れないブラジル。
観る者の目には凡戦に映るが
傷だらけのイタリアが
強豪ブラジルを迎え撃つにはこの戦法しかないのだ。

ゲームは延長に入って俄然、
攻守の切り替えが速くなり、TVの画面から目が離せなくなる。
しかし、すでに両軍の選手達は疲労困憊。
軸足の踏ん張りが利かないから
放つシュートがことごとく流れてしまう。

W杯史上初のPK戦による決勝。
この決着のつけ方に不満は残るが
両雄の健闘にいささかも水を差すものではない。

決戦後、夕食をとるため、リトルイタリーに出掛けた。
道ゆく人の姿がいつもより少なく、心なしか活気がない。
敗戦の哀しみに街全体が沈んでいたのかもしれない。

ずいぶんW杯を引っ張ってしまったが
このアメリカ大会に初出場するはずの
日本代表を襲ったのが”ドーハの悲劇”であった。

=つづく=