2014年7月17日木曜日

第883話 言葉がとても見つからないわ (その3)

W杯ブラジル大会では悲劇的シーンに事欠くことがなかった。
ドイツに打ちのめされたブラジル国民の心の痛手は
いつの日か、癒えることがあるのだろうか?
背骨が治癒してネイマールが再びピッチに立つのは
そんなに先のことではなさそうだ。

スペイン、イタリア、イングランド、ポルトガルの一次リーグ敗退も
悲劇といえば悲劇だ。
それに比べてわが日本の惨敗は
せいぜいプチ悲劇どまりだろうネ。

一方、母国に夢と希望を与えて余りあったのは
断然、コスタリカとアルジェリアの2ヶ国。
この2チームの大健闘は称えられてしかるべきだ。
イビチャ・オシムの故国、
ボスニア・ヘルツェゴビナの初勝利も
自国民を大いに力づけたことだろう。

メキシコとコロンビアはもはやかつての退屈なチームではない。
殊にメキシコの進化と躍進は4年前のスペインに迫るものがあった。
近い将来、ベスト4どころか、
決勝戦の舞台に踊り出てくるものと思われる。
それほどに強くなったのだ。
日本が目指すのはドイツのサッカーでは断じてない。
ドイツからは頭脳や精神に学ぶところはあっても
肉体・技術はメキシコを範とすべし。

大江健三郎じゃないが
ここで個人的な体験としてのワールドカップを振り返ってみる。

J.C.が初めて観たのは1966年のイングランド大会。
クイーン・エリザベスをして
「サッカーにはドラマがある」と言わしめた大会であり、
地元イングランドと西ドイツとの白熱した決勝戦は
後世にその栄えある残像を残す。

’70年のメキシコはブラジルの強さが際立っていた。
戦法・戦術が様変わりの現代とは一概に比較しかねるが
史上最強の勝ち方だった。
決勝でもイタリアを文字通り軽く一蹴。
まったく危なげなく手にした栄光だったと言える。

’74年は西ドイツ。
当時、ロンドンに棲んでいたJ.C.は
バイト先の隣りのパブでラガービールを飲みながら
決勝の西ドイツVSオランダを観た。
隣りにはスウェーデン出身のGFがいて
その夜のディナーを賭けたっけ・・・。

結果はオランダを取ったこっちの負け。
賭けには負けたけれど、
ヨハン・クライフが率いたチームは
モダンサッカーの嚆矢(こうし)であった。

’78年以降はまた明日!

=つづく=