2015年6月1日月曜日

第1110話 何処よりも此処を愛す (その14)

金龍山浅草寺のおひざ元、「弁天山美家古寿司」の夕べ。
いただいたにぎり鮨は二人寸分たがわぬ種を食べ続け、
すでに12カンを数えている。
土地柄、銀座の鮨店より一回り大きめにつき、相当な食べ応えである。
そろそろ仕上げに掛からねばならない。

13番バッターは玉子だ。
振り返れば1978年、初めてこの店を訪れ、
つけ台に着いたとき、目に飛び込んできたのは
つけ場で一心に玉子を焼く四代目のうしろ姿であった。
心なしか背中から後光が射していたように・・・
は見えなかったけど、職人の風格を存分に放っていたっけ―。

関西風の出し巻きと対照的な「美家古」の玉子。
芝海老のすり身に砂糖を加えて練り上げ、
味醂と日本酒でのばし、同量の溶き卵を合わせて焼き上げる。
どうにも文句のつけようがない。

市場の量販店で買ってきた出汁巻きに
海苔の黒帯を巻いたヤツを臆面もなく出す店があとを絶たない。
いや、臆面どころかドヤ顔で腕組みまでして
威張ってやがるんだから、まったくバカにつけるクスリはありやせん。

思い出深い玉子はあくまでも味わい深かった。
いよいよ締めである。
ここは前回同様、おぼろ巻きとわさび巻き。
相方にとっていずれも生まれて初めて口にする巻きものは
やはり新鮮な驚きを招いたのだろう、瞳がキラリと輝いている。

長いことおつき合いいただいたシリーズの最後に四代目の逸話。
十数年も以前、五代目とまだお元気だったお内儀が口々に語った。

「オヤジもこのところめっきり弱っちまいましてねェ」
「それに食事んとき、何にでもマヨネーズを掛けちゃうんです」
「本当にあのお父さんがですヨ」

問わず語りのハナシを聞いていて何だか哀しくなった。
そう・・・女将さんのおっしゃる通り、
酢とわさびをこよなく愛した、あの繊細な味覚の持ち主をして
老いという魔物はここまで衰えを促すのだ。
世の無常とはこういうことなのか・・・。

ある日、ぼんやりといにしえの「美家古」の情景を思い描いていて
ハタと気がついた。
日本の典型的な食卓に置かれているのはまず醤油差し。
せいぜい、それにソースと塩・胡椒くらいが関の山ではなかろうか。
昭和の昔じゃあるまいし、
赤いキャップの化調サンはとっくに姿を消しているハズ。
ましてや食酢を並べている家庭はきわめてまれであろうヨ。

日本人が手っ取り早く酢を摂取できる調味料はマヨネーズ。
四代目は生涯連れ添った”酢”という名の伴侶を
無意識のうちに求めていたに相違ない。
マヨネーズには卵黄とオイルのコク味よりも
酢の酸味を求めていたんだヨ、きっと!

そうだ、こんど店に寄ったらこのハナシをしてやろう。
そして四代目の名誉を回復してやろう。
晴れがましい気持ちで、そう心に決めたのでした。

=おしまい=