2016年12月13日火曜日

第1511話 サヨナラをする前に (その3)

いつものクセで脇道にそれている。
「サヨナラをする前に」から
いつの間にか、
「さよならをするために」へ車線変更している。
読者のあきれ顔が目に浮かばぬでもないが
それかかった脇、しばしおつき合いのほどを―。

俳優・鶴田浩二の、もとい、石坂浩二の作詞による、
「さよならをするために」は思い出深い曲である。
リリースされた1972年は日々、
もっぱらアルバイトに明け暮れていた。
過激派の学生に大学が占拠(ロックアウト)され、
授業がないのをこれ幸い、
海外渡航のための資金稼ぎに専念していたのだ。

念願かなって翌’73年8月には
エジプト→スーダン→エチオピア→
ケニア→ウガンダ→タンザニア
とめぐって
ケニアの首都ナイロビからロンドンに飛んだのだった。

大英帝国に到着はしたものの、
ホンの数週間で有り金が底をつき、
必要に迫られてバイト探しを始める。
当時、スウェーデンなど、
北欧諸国は外国人に門戸を開いており、
学生に限り、それも夏季に限って働くことができた。

ところが東アフリカや西インド諸島からの移民・難民が
少なくないイギリスでは
そう簡単に労働許可証を得ることができない。
学生といえども無許可で就業するのは不法であった。

まっ、日本人の若者が官憲にとっ捕まって
強制送還されたハナシは聞かなかったから
まずダイジョウブだろうとタカをくくって働くつもりでいた。

ロンドンの街をあちこちと職探しに歩きだして
二日目だったかな?
WLAT(ウエス・トロンドン・エアターミナル)、
東京なら箱崎のTCATみたいなもんだが
そのサブウェイ最寄り駅、グロウスター・ロードにある、
「WIMPY」(ハンバーガー・レストラン)で働くことになった。

ハンバーガーといっても今の世のマックやモスとは違い、
一応、ナイフ&フォークがセットされるレストランのはしくれ、
デッカいガラス張りの一画に日本語で
”アルバイト募集”のポスターが貼られていたのには驚いた。
日本料理店ならいざ知らず、
日本語の広告に意表を衝かれつつも、
九死に一生を得た感があったのだ。

=つづく=