2017年6月20日火曜日

第1648話 60年の月日を数えて (その3)

赤羽はOK横丁。
「酒房 たちばな」のカウンターで
ビックリ仰天しているJ.C.がいた。
驚きの理由は壁の貼り紙だった。

店の品書きでも商品ポスターでもなく、
毛筆でしたためられたそれは
そう、中学生時代の習字の時間に生徒が習作し、
クラスの壁に貼り出される、あんな感じの1枚である。
あえて固有名は明かさぬが紙にはこう書かれていた。

 東京湯島 〇〇〇は日本一  X〇〇〇(株)

ここに株式会社とあるのは、とある食品メーカー。
目にした瞬間、懐かしさがこみ上げた。
目がしらが熱くなったほどである。
あれはキッカリ60年前の1957年だった。

棲みなれた長野の町を
追われるようにしてたどり着いた大東京。
そう、わが一家四人が上京した年である。
このとき、ひとかたならぬ世話になったのは
父親の学友たちと母親の兄夫婦だった。

学友のひとりにKサンなる会社社長がいた。
彼が経営するのが、とある食品メーカーである。
オフィスが文京区・根津(湯島の隣り)にあり、
父親に連れられて何度か訪れた。

記憶が確かならば1957年の秋。
食品会社の慰安旅行があって
どういうわけか部外者の父親ともども参加した。
いくら社長の親友だからといって
ヨソ者の子連れ狼を
社内旅行に伴う会社がはたしてあるものだろうか。

バスで向かったのは群馬県の伊香保温泉。
バスガイドのおネエさんが
初代コロンビア・ローズの「東京のバスガール」を
歌っていたっけ。
レコードがリリースされた直後じゃなかったかな。

  ♪   若い希望も 恋もある
     ビルの街から 山の手へ
     紺の制服 身につけて
     私は東京の バスガール
     『発車オーライ』
     明るく明るく はしるのよ  ♪
       (作詞:丘灯至夫)

この頃、東京の街に流れていたのは
「チャンチキおけさ」(三波春夫)と
「有楽町で逢いましょう」(フランク永井)。
ともに昭和を代表する大ヒット曲である。

=つづく=