2019年10月14日月曜日

第2240話 ”町中華”の名付け親は誰? (その1)

ちょうど2週前の9月30日月曜日。
朝日新聞朝刊の「文化の扉」欄にて
”町中華 愛される理由”と題した記事が掲載された。
編集委員・小泉信一さんの筆によるもので
ご本人の承諾を得ず、文頭の一文を紹介させていただく。

「町中華探検隊」と称して中華料理店を訪ね歩く動画が
ネット上にアップされたのは2014年だ。
「街を歩いていたら昔ながらの店が減っていることに
 あらためて気づかされた。
 『町中華』という言葉が自然に出てきたのです」
と隊長でライターの北尾トロさん(61)は言う。

どうやら町中華なる新しい造語が生まれたのは
”動画がネットにアップされた”とあるから2014年以前。
といってもそんなに前ではなかろう。
長くて1~2年さかのぼる程度ではなかろうか。

J.C.も起源を調べてみたものの、
これといった新発見はなかった。
ところが意外なところで資料が見つかった。
何と、自宅の書架にあったのだ。
灯台下暗しとはこのことである。
東京中の食べもの屋を評したグルメ本の巻末、
料理別索引にこうあった。
その前後を含めて転載してみたい。

=お好み焼き・軽食=
ウエスト・レトロカフェ(軽食)
近江屋洋菓子店
大阪鉄板厨房おくら(お好み焼き)
珈琲アロマ
立花(お好み焼き)
初音茶屋(軽食)
福田屋(軽食)

=町中華=
中華オトメ
砺波
百亀楼

=居酒屋・ビヤホール=
赤津加
江戸一
ゑびす
大阪屋
・・・・・・
・・・・・・ 

町中華の文字が躍っている。
いや、べつに躍っちゃいないが
フツーに印刷されていたのだ。

=つづく=