2019年10月15日火曜日

第2241話 ”町中華”の名付け親は誰? (その2)

ここ数年、スローリィ、バット・シュアリィ、
食いしん坊の間で見直され、人気を高めている町中華。
”町中華”の字ヅラを眺めているうちに
何とも不思議な思いが脳裏をかすめてくるが
いったい、誰が名付けたの?
どこのどいつが言い出したの?

わが家の書架に並んでいた1冊、
いわゆるグルメ本の類いに
”町中華”の文字を発見したのだった。
発行日は平成21年、5月5日のせいくらべ。
2009年だから令和元年の丸10年前で
「町中華探検隊」の動画アップが開始される5年前だ。

肝心の書籍名は「庶ミンシュラン②」(グラフ社)。
気になる著者名はJ.C.オカザワときたもんだ。
なあ~んだ! ってか?
へへ、事実だからしょうがあんめェ。
この1年前に発行された「庶ミンシュラン①」だと、

=町中華=
中華オトメ
砺波
百亀楼

では全然なくて

=中華そば=
砺波

ただ、それだけだった。
さすれば、J.C.の頭に町中華の文字が
飛来したのは2008~9年の間だ。
町中華は「庶ミシュラン②」により、
初めて他中華料理とジャンル分けされ、
活字になったものと思われる。

改訂にあたり、担当編集者のF元さんに
ジャンル名として町中華を持ち出したとき、
彼女の反応は
「エッ? 町中華ですか?」-
あとに続く(ナンすか、ソレ?)を
あからさまに飲みこんでたネ、ハハハ。
しかしながら、難色を示すでもなく、
ワケを説明したらすぐに納得してくれた。

J.C.にとって町中華とは
イラサマセ~系中華の対極にあるもの。
そして三大必須メニューは

① 中華そば ② 炒飯 ③ 野菜炒め

中華そばが支那そばならなおいいし、柳麺の表記も好きだ。
ひるがえって餃子にはちっとも固執しない。

てなこって、町中華の名付け親・・・
というのは、さすがにおこがましいが
言い出しっぺは、J.C.でいいんじゃないかな?
もっとも世に広めたのは前述の北尾トロさんだろうネ。
おそらく彼の頭にも似たようなひらめきが
ヒットしたことでありましょう。