2011年12月16日金曜日

第207話 今も昔も 中国人は!(その2)

荷風の「あめりか物語」はエッセイ集の態を成しているが
厳密にはフィクションの短編小説集。
ただし、実生活の経験に深く基づいており、
ドキュメンタリー的要素をふんだんに含んでいる。

明治の文人の洋行となれば、
永井荷風以前に森鷗外と夏目漱石がいる。
鷗外はドイツへ、漱石はイギリスへ、
そして荷風はアメリカとフランスに渡った。

荷風はフランスを憧憬していながら
実際に滞在したのはたかだか1年足らずであった。
それもリヨンに8ヶ月、パリにはたったの2ヶ月だ。
一方、好きでもないアメリカでは4年余りを過ごしている。

「あめりか物語」と「ふらんす物語」を読み比べると、
文体や発想のキレ味は「ふらんす~」に軍配だろうが
文筆家としての未熟さを匂わせながらも
長かった「あめりか~」にはそれなりの厚みを感じる。

おっと、チャイナタウンの中国人であった。
「あめりか物語」に収められた一篇、
「支那街(しなまち)の記」から抜粋する。

 空地を行尽すと、扉のない戸口がある。
 這入れば直様狭い階段で、折々痰唾吐き捨てあるのを、
 恐る恐る上って行くと、一階毎に狭い廊下の古びた壁には、
 薄暗い瓦斯(ガス)の裸火が点いていて、米国中、
 他の場所では夢にも嗅げぬ、煮込みの豚汁や青葱の臭気、
 線香や阿片の香気が、著しく鼻を打つ。


 見れば、ペンキ塗の戸口には、「李」だとか「羅」だとかいう名字やら、
 その他縁起を祝う種々な漢字を、筆太に書いた朱唐紙が、
 ベタベタ張付けてあり、中では猿の叫ぶような支那語が聞こえる、
 が、然らざる戸口には、蝶結びしたリボンなぞを目標にして、
 べったり白粉を塗立てた米国の女が、
 廊下に響く足音を聞付けさえすれば、扉を半開に、
 聞覚えの支那語か日本語で、吾々を呼び止める。


 哀れ、この女供は、米国の社会一般が劣等な人種とよりは、
 寧ろ動物視している支那人をば、唯一の目的にして
 ―その中には或る階級の日本人も含んで―
 この裏長屋の中に集って来たものである。
 人間社会は、如何なる処にも成敗、上下の差別を免れぬ。
 一度(ひとたび)、身を色慾の海に投捨てても、
 なおその海には清きあり濁れるあり、
 或者は女王の栄華に人を羨ますかと思えば、
 或者は尽きた手段の果が、かくまでに見じめを曝(さら)す。


”猿の叫ぶような支那語”
”劣等な人種とよりは、寧ろ動物視している支那人”
いや、はや、何ともスゴいや。

出版された1908年は中国人の日本留学が盛んだった時代。
若き日の蒋介石も滞日して勉学に勤しんでいた。
例えばときの留学生たちが「あめりか物語」を読んだとしたら
彼らは永井荷風を激しく憎んだであろう。
もしもその時代にくだんのゴロツキ船長がいたならば、
哀れ荷風、ブスリと刺殺されていたに違いない。