2011年12月21日水曜日

第210話 信濃では 鯉と目白と 野沢菜漬け (その1)

長野県・長野市のランドマークは定額山善光寺。
この世に生を受けてから満5歳まで
本堂の北西、徒歩3分ほどのところに棲んでいた。

家の前には湯福神社があり、
境内には湯福川なるせせらぎが流れていた。
いや、今でも清らかな水が、細く速く流れている。

麻雀牌をかき混ぜる音を子守歌としたあの時代。
思い起こせばいろいろと懐かしい光景がよみがえる。
人間、歳をとるとウシロを振り返るのが常、
しばし、思い出話におつき合いくだされ。

県立長野西高の付属幼稚園に通っていたときは
異常に生きもの好きのやんちゃ坊主であった。
とんぼ採りが大好きで
あの頃のとんぼはずいぶん呑気だったのだろう、
年端もいかない子どもでさえ、たやすく捕まえられた。
虫かごにギッシリ、まるでラッシュ時の電車内状態。
中には窒息死(圧死かな?)してるのもいて
お陀仏したのを庭の隅によく埋めたものだ。

おたまじゃくしとかえるにも目がなかった。
いつも御用聞きに来る「島金」という魚屋に
サカナのアラをもらい、
善光寺の裏にあった、つばめ池にザルごと沈める。
30分ほど放置してからザルを引き揚げると
おたまじゃくしだの、川海老だの、げんごろうだの、
様々な水生動物がゴッソリ獲れた。

デカいおたまじゃくしをまとめて半ズボンのポケットに詰め込み、
家に帰ったときにはほとんどみんなクタバッてたっけ。
アーメン! 当然、彼らも庭の隅に直行である。

そうそう、応接間(ここが麻雀ルーム)の水槽に
金魚が10匹ほどいて、大のお気に入りは黒い出目金。
母親の留守にふと思ったことには
出目金に牛乳を飲ませてやろう、このひらめきであった。
子ども心にもいいアイデアだと思ったものだ。

でもって新鮮な牛乳を一献傾けてやったらば、
哀れ金魚のみなさん、あえなく全滅の憂き目であった。
帰宅したおふくろにこっぴどく叱られ、
今度は哀れJ.C,、オヤジの兵児帯(へこおび)で
家の大黒柱に縛りつけの刑と相成り申した。

フーテンの寅さんの映画を観ていると、
夕暮れ時にラッパを吹きながら
自転車に乗った豆腐売りが登場する。
長野の街には、あれの鯉ヴァージョンがよくやって来た。
近所の加藤鯉店のもので母親が呼び止めると、
真鯉を1尾抱えたアンちゃんが勝手口から上がり込み、
ウチのまな板の上できれいに捌いていったものだ。

まな板の鯉とはよく言ったもの、
きゃつらはけっしてジタバタしない。
ヒゲをたくわえた口をパクパクさせるだけなのだ。
まさに元祖口パクである。
食してみれば洗いはともかく、鯉こくは苦手だったなァ。
ありゃ、相当に泥臭いもんねェ。

=つづく=