気に入りの江戸前鮨店、
「弁天山美家古寿司」のつけ台で燗酒を飲んでいる。
この空間に身を置くことのできるシアワセをかみしめている。
あれは10年前。
自著「浅草を食べる」を上梓してからもうそんなになるのだ。
せっかくだから「美家古」に関する部分を抜粋して紹介したい。
初めて伺った日のことはよく覚えている。
1978年の9月か10月、隅田川の花火が復活した年の、
その花火から1、2ヶ月のちのことだ。
去年(2002年)亡くなられた先代親方(四代目)の時代であった。
最初のひらめ昆布〆めで鳥肌が立つ。
今まで食ってた鮨って、ありゃいったいなんだったんだろう。
小肌に目覚めたのもこのときだ。
穴子を煮きりと煮つめで1カンづつやったときには
もう目ガシラが熱くなってしまった。
壁には鮨種を記した木札が。
見慣れぬ札が2枚あり、「粉山葵不許」と「ИKPA」。
前者は「粉わさび許さず」と読む。
後者はロシア語でイクラのことだった。
「イクラなんてもんは酒の肴にチョコッとつまめばいいの。
職人が海苔で囲った酢めしの上に
スプーンでよそう姿なんざ見たくもねェ!」―
客に注文させないためのロシア語だったのだ。
かくしてたまにおジャマするのが楽しみとなった。
三段重ねの三段ちらしが名物だったが、いつのまにか消えた。
文句を言うと、
「ああいう儲からねェもんは
やっちゃいけねェって税務署に言われたのっ!」
シャレっ気のある人だった。
にぎった鮨から色気がにじみ出ていたものだ。
東京の鮨職人ここにあり、である。
当代は五代目。
「美家古」の伝統は立派に受け継がれているが
にぎりは一回り大きくなり、男性的になった。
野球選手に例えれば、先代が柔のイチローで当代は剛の松井。
浅田真央や高梨沙羅は先代の、
白鵬や日馬富士なら当代のにぎりがお口に合うハズだ。
J.C.は迷わず先代。
何せ、人生観が変わるほどの衝撃を受けましたからネ。
仰げば尊しわが師の恩、生涯忘れることはありません。
=つづく=
「弁天山美家古寿司」のつけ台で燗酒を飲んでいる。
この空間に身を置くことのできるシアワセをかみしめている。
あれは10年前。
自著「浅草を食べる」を上梓してからもうそんなになるのだ。
せっかくだから「美家古」に関する部分を抜粋して紹介したい。
初めて伺った日のことはよく覚えている。
1978年の9月か10月、隅田川の花火が復活した年の、
その花火から1、2ヶ月のちのことだ。
去年(2002年)亡くなられた先代親方(四代目)の時代であった。
最初のひらめ昆布〆めで鳥肌が立つ。
今まで食ってた鮨って、ありゃいったいなんだったんだろう。
小肌に目覚めたのもこのときだ。
穴子を煮きりと煮つめで1カンづつやったときには
もう目ガシラが熱くなってしまった。
壁には鮨種を記した木札が。
見慣れぬ札が2枚あり、「粉山葵不許」と「ИKPA」。
前者は「粉わさび許さず」と読む。
後者はロシア語でイクラのことだった。
「イクラなんてもんは酒の肴にチョコッとつまめばいいの。
職人が海苔で囲った酢めしの上に
スプーンでよそう姿なんざ見たくもねェ!」―
客に注文させないためのロシア語だったのだ。
かくしてたまにおジャマするのが楽しみとなった。
三段重ねの三段ちらしが名物だったが、いつのまにか消えた。
文句を言うと、
「ああいう儲からねェもんは
やっちゃいけねェって税務署に言われたのっ!」
シャレっ気のある人だった。
にぎった鮨から色気がにじみ出ていたものだ。
東京の鮨職人ここにあり、である。
当代は五代目。
「美家古」の伝統は立派に受け継がれているが
にぎりは一回り大きくなり、男性的になった。
野球選手に例えれば、先代が柔のイチローで当代は剛の松井。
浅田真央や高梨沙羅は先代の、
白鵬や日馬富士なら当代のにぎりがお口に合うハズだ。
J.C.は迷わず先代。
何せ、人生観が変わるほどの衝撃を受けましたからネ。
仰げば尊しわが師の恩、生涯忘れることはありません。
=つづく=