2013年2月15日金曜日

第514話 アネゴと味わうアナゴ (その2)

気に入りの江戸前鮨店、
「弁天山美家古寿司」のつけ台で燗酒を飲んでいる。
この空間に身を置くことのできるシアワセをかみしめている。

あれは10年前。
自著「浅草を食べる」を上梓してからもうそんなになるのだ。
せっかくだから「美家古」に関する部分を抜粋して紹介したい。

初めて伺った日のことはよく覚えている。
1978年の9月か10月、隅田川の花火が復活した年の、
その花火から1、2ヶ月のちのことだ。
去年(2002年)亡くなられた先代親方(四代目)の時代であった。

最初のひらめ昆布〆めで鳥肌が立つ。
今まで食ってた鮨って、ありゃいったいなんだったんだろう。
小肌に目覚めたのもこのときだ。
穴子を煮きりと煮つめで1カンづつやったときには
もう目ガシラが熱くなってしまった。

壁には鮨種を記した木札が。
見慣れぬ札が2枚あり、「粉山葵不許」と「ИKPA」。
前者は「粉わさび許さず」と読む。
後者はロシア語でイクラのことだった。
「イクラなんてもんは酒の肴にチョコッとつまめばいいの。
 職人が海苔で囲った酢めしの上に
 スプーンでよそう姿なんざ見たくもねェ!」―
客に注文させないためのロシア語だったのだ。

かくしてたまにおジャマするのが楽しみとなった。
三段重ねの三段ちらしが名物だったが、いつのまにか消えた。
文句を言うと、
「ああいう儲からねェもんは
 やっちゃいけねェって税務署に言われたのっ!」
シャレっ気のある人だった。
にぎった鮨から色気がにじみ出ていたものだ。

東京の鮨職人ここにあり、である。

当代は五代目。
「美家古」の伝統は立派に受け継がれているが
にぎりは一回り大きくなり、男性的になった。
野球選手に例えれば、先代が柔のイチローで当代は剛の松井。
浅田真央や高梨沙羅は先代の、
白鵬や日馬富士なら当代のにぎりがお口に合うハズだ。

J.C.は迷わず先代。
何せ、人生観が変わるほどの衝撃を受けましたからネ。
仰げば尊しわが師の恩、生涯忘れることはありません。

=つづく=