2015年1月22日木曜日

第1018話 汝の隣人を愛せ (その3)

1971年春、欧州旅行の日記のつづきは、@トレドである。

その後、M子サンと語り合ったのは
もっぱら互いのふるさと・長野県と、
一応、二人の母校と呼べる長野西高について―。
楽しい時間だった。

日本に帰るのはこちらが来月、あちらは来年の予定。
再会したら一緒に野球の早慶戦に行く約束をした。
本当にまた会えるかな?
同郷のよしみがあることだし、この偶然を活かしたい。
2歳年上になっちゃうが、とても可愛い人だし・・・。

かくして春のトレドの一日は
忘れ得ぬ思い出として記憶にとどまる。

そして翌年、願いはかなって二人はめでたく再会。
それなりの関係を結ぶのに、ほとんど時間を要しなかった。
まっ、そこそこロマンチックにしてドラマチックでござんしょう?

このハナシをサラマンカ出身のマリアに聞かせたわけだ。
目の前の日本人の恋人が
かつて自分の生まれ育った街に留学していたとなると、
他人事ではない因縁を感じるのも当然、
耳を傾けているあいだ、彼女の瞳はずっと輝いていた。
もっとも夫のミゲルは早いとこ、
アルゼンチンの話題に戻したい様子だったけどネ。

てなわけで袖振り合うも多少の縁、
このまま別れるに忍びがたく、
3人は8丁目のバーで飲み直しと相成った。

以上が去年の年末の出来事。
年は明けて舞台は浅草に移る。

松が取れても浅草の人出は衰えない。
とはいうものの、
文字通り、夜の”浅い”土地柄につき、にぎやかなのは夕暮れまでだ。

 ♪  さあさ着いた 着きました
   達者で永生き するように
   お参りしましょよ 観音様です
   おっ母さん
   ここが ここが浅草よ
   お祭りみたいに 賑やかね ♪
       (作詞:野村俊夫)

1957年リリースの「東京だよおっ母さん」。
島倉千代子が歌った浅草はお祭りみたいに賑やかで
往時は多少なりとも夜の深みがあったハズだ。
J.C.が初めて浅草を訪れたのも同じ1957年。
大人同士の酒宴の片隅で
近々、小学校入学を迎える少年はうな丼を食べていましたとサ。

さて、年初の浅草である。
その夕刻は街のランドマークともいえるビヤホール「K」の1階にいた。
いつもは2階に上がるのだが
この日に限って1階の雑然とした雰囲気に身を置きたくなったのだろう。
そこに一つのドラマが待っているとは夢にも思わずに―。

=つづく=