2017年3月30日木曜日

第1590話 慶喜公の墓のそば (その1)

近い将来、JR山手線の駅が一つ増える。
ご存じのように品川と田町のあいだである。
現在の29駅が30駅になるわけだ。
山手線の新駅誕生は西日暮里(1971年)以来、
実に半世紀ぶりのことだ。

一都民としてよく利用する電車は地下鉄だが
JRでは断トツで山手線。
その山手線における自分の行動範囲を見てみると、
北は池袋から南は浜松町までの計16駅がほとんど。

二ヶ月に一度は理髪のために渋谷へ行くけれど、
それにしたって東京メトロ・千代田線の明治神宮前か
代々木公園から歩いている。
帰りにどこかへ飲みに出向く際、
渋谷駅に赴いたとしてもメトロ・銀座線を利用する。

だいたいJ.C.が出没するのは花の都の東側だから
山手線にしたって前述の通り、
縦長楕円を形成する路線の右半分で活動している。
行く先を決めずに家を出たときも
気と足が自然に向くのはイーストサイドなのだ。

山手線の駅名に”谷”が付くのは渋谷と鶯谷。
”谷”を名乗るくらいだから
駅は窪地や低地に存在するわけで
なるほど渋谷なんかメトロがJRより高い位置にある。
でも電車に乗っていて”谷”を実感するのは
鶯谷のほうであろう。

日暮里から鶯谷をはさんで上野へ向かうとき、
電車の窓から見上げると、
いくつかの跨線橋を目にすることができる。
言問通りと鶯谷南口前、それぞれの陸橋と
加えて京成電車のガードは
自分も渡ったことがあるので認知している。
しかし電車やクルマが走れない、
二つの小陸橋は未踏であった。

土地勘はあるほうだからその二つが
谷中霊園と東日暮里を結んでいることは一目瞭然。
しかし、さほど利用者が多いとも思えぬ場所に
二本並んだ小橋の設置はいささか面妖だ。
だって橋上を人が歩くのを見たことがないんだもの。

これは実地に渡橋してみなければ―。
思い立ったが吉日。
陽射し降り注ぐ日の午後に出掛けてみた。
靖国神社のソメイヨシノが開花した数日後のことだった。

=つづく=