2023年3月30日木曜日

第3242話 桜の下で 精進しました (その1)

都営三田線で御成門へ。
向かったのは青松寺の隣りのビル内、
精進料理の「醍醐」。
今日は近しい縁者の法要である。
うちうちの会につき、集ったのは6名。

萬年山青松寺は太田道灌により、
文明8年(1476)に創建された。
当初は現在の千代田区・麹町にあったが
江戸開府とともに、どうする家康により、
港区・愛宕に移築された。

「醍醐」を初めて利用したのは
ちょうど半世紀前、1973年のこと。
当時、至近の東京プリンスホテルで
若き日のJ.C.はアフリカ旅行の資金を
せっせこせっせこ貯め込んでいた。

今はよく知らないが当時、
彼のホテルは宿泊ではなく、
宴会が稼ぎ頭だった。
自民党議員の「〇〇君を励ます会」。
あの打ち出の小槌を初めて催したのが
当ホテルなのだ。

これ堤屋、そちもなかなかの悪よのぉ」

それはそれとして
配膳会から派遣されたJ.C.は
4階宴会担当の常備。
大部屋の2階、中部屋の3階に比べ、
はるかに狭い小部屋ながら
VIPの利用率が高く、
そのぶん料理の質も格段に上がる。
フランス料理の知識はここで学んだ。

半世紀前、4F宴会の打ち上げを
この「醍醐」で開いたのだった。
どうしてまたホテルマンの宴会が
精進料理なのか?

思うに和・漢・仏の美食に
慣れ親しんだわれわれは
さまざまなジャンルの味を
舌に覚えさせねばならない。
そんな発想が生まれたのだろう。

当時の「醍醐」は青松寺の境内にあり、
江戸時代にタイムスリップしたかのようだった。
宴たけなわともなると、
ある黒服はお手盛りの手拍子で
三波春夫の「チャンチキおけさ」と来たもんだ。
カラオケなんかまだ無かった時代である

=つづく=