2013年3月15日金曜日

第534話 はるばるきたぜ 雑色へ (その1)

今日のサブタイトルから
北島サブちゃんの「函館の女」の歌詞が
出し抜けに登場すると思った方は少なくあるまい。
殊に中高年の方々はネ。
中には「また唄の文句かヨ!」―こう嘆いて
げんなりした向きもおられたことでしょうヨ。

でも、それはやめといたんだもんネ。
何となればサブちゃんの「女」シリーズでは
後年の「薩摩の女」や「加賀の女」のほうが
好きだからでござんす。

今回、はるばるやって来たのは雑色という町。
東京都民でもご存じない方のほうが多いのではないだろうか。
ざっしょく? ぞういろ? ざつしき? 読みくだすのも難解だ。
これは、ぞうしきと読みます。
品川から三浦半島の突端まで走る京浜急行の駅で
品川から行けば、京急蒲田の一つ先になる。

ここでハナシは半世紀以上もさかのぼる。
京急・平和島がまだ学校裏というのどかな駅名だった昭和30年代。
学校裏が最寄り駅の大森第五小学校に通っていた。
三年生だったから1960年のことだ。
ある日曜日の午後、
級友二人と校門前で待ち合わせ、大田区内・探険の旅に出掛けた。

行く先のアテなどなく、文殊の知恵で取り決めたルールはただ一つ。
二股だろうが、三叉路だろうが、十文字の交差点だろうが
とにかく道の分岐点に差し掛かったら、必ず三人でジャンケン。
そしてその都度、勝者が進む道を選ぶというもの。
ただし、今来た道を逆戻りするのだけは認めないことにした。

この方式、普通のウォーキングと違い、ものすごく時間が掛かる。
何せ、目的地に向かって直進するわけではないからネ。
昼過ぎに出発しておよそ2時間後、三人は池上本門寺の境内にいた。
学校から寺までの直線距離はたかだか2キロ。
大人の足なら30分もあればじゅうぶんだ。

さらに続けて到達したのが雑色駅前で
駅の時計は17時半を指していた。
小学生低学年にとっては、はるばるきたぜ雑色へ、なのだ。
すでに陽は落ちて辺りは薄暗く、
心細いわ、腹は減るわで、即電車に乗って帰った記憶がある。

そのつぎ、雑色に来たのは2006年のGWのさなか。
池上線・池上駅前の「松花江」で昼食のあと、
思い立って横浜まで歩いて行った。
その途中に通過したというワケ。
池上―雑色間をテクったのは46年前とまったく一緒。
偶然とはいえ、歴史は繰り返すんだなァ。

そして2013年1月、早いハナシが2ヶ月前ですな。
初めて訪れた雑色の「もつやき三平」にハマッてしまい、
この月だけで三度もやって来た。
のめり込んだらとことんのめり込む、
自分の性格がおそろしいヨ、マッタク。

=つづく=