2013年6月7日金曜日

第594話 荷風の”食跡”を訪ねて (その2)

永井荷風の「断腸亭日乗」における最後の年は昭和34年。
正月元日から亡くなる前日の4月29日までをたどってみたい。

1月1日(旧11月21日) 
 雨。正午浅草。高梨氏来話。日本酒を贈らる。雨雪となる。

この日から1月10日までの毎日、”正午浅草”の文字が見える。
ほかには”晴”、”陰(くもり)”、”立春”、”日曜日”などが
素っ気なく記されているばかり。
飲食店に関しては1月3日に「アリゾナ」が顔を出すだけだ。

日記はしばし絶えて2月2日に復旧し、同28日までの27日間連続で
再び”正午浅草”のオンパレード、いやはや、皆勤賞ものですな。
そして運命の日を迎えることとなる。
その日にはこうあった。

3月1日 
 日曜日。雨。正午浅草。病魔殆ど歩行困難となる。
 驚いて自動車を雇ひ乗りて家にかへる。

以来、散人が浅草の街に現れることはなかった。
翌2日から10日まで”病臥”、あるいは”風邪”と記されている。
”病魔”が一時、去ったためだろう、
11日から20日までは判で捺したように”正午大黒屋”。

3月21日
 祭日。晴。

ここで日記はまた途絶え、4月10日にリスタート。

4月10日
 祭日。晴。

この年だけの祭日は、そう、皇太子明仁親王の結婚の儀だ。
明仁親王は言わずと知れた現在の天皇陛下ですネ。
荷風はただ”祭日”と認(したた)めただけで
結婚の儀にはまったくふれていない。
嬉々として文化勲章を授かったくせに皇室に対してつれない素振り。

4月19日
 日曜日。晴。小林来話。大黒屋昼飯。

生涯最後の外食はかつ丼。
あとはずっと、自炊に明け暮れていたものと推察される。

4月23日
 風雨わずかにやむ。小林来る。晴。夜月よし。

荷風、見納めの月。

4月29日
 祭日。晴。

これが絶筆。

京成八幡駅前の「大黒屋」は今、
荷風定食なる、あやかり名物をウリにしており、
内容は、かつ丼とお新香、そしてお銚子1本。
ハナシの種に食べてみるのも一興なれど、
そのデキは・・・いや、あえて語るまい。
推して知るべしなりけり。

おっとっと、荷風最後の浅草の昼餉、
「アリゾナ」のことであった。
また引っ張っちゃったが、以下次話ということで。

=つづく=