2013年6月17日月曜日

第600話 ボルドーで途中下車 (その4)

先週金曜のつづき。
42年前、横浜の大桟橋から離日した、
人生発の海外旅行、その旅日記である。

5月2日
 車内でK大教授に朝食をご馳走になり、
 K島クンと話をしているうちボルドーに到着。
 独り下車してボストンバッグをY.Hに置き、街なかをぶらぶら。
 ビー玉の親分みたいなゲームが
 あちこちの公園で盛んに行われている。
 5.5フランのすばらしい昼食。
  ハム・野菜サラダ ヌードルスープ ポークチョップ
  レタスサラダ バナナ 赤ワイン
 晩めしもその店で食べた。
 カナダ人とアメリカ人のアベックと互いの旅について話す。

バックパックは大嫌い、昔からボストンバッグ派である。
ビー玉の親分は後日、ペタンクと判明。

店名が記されていないのは
レストラン自体にまだあまり関心がなく、
食いモンそのものだけに入れ込んでいたらしい。
それにしてもアベックはないよなァ。
当時はまだカップルなんて呼ばなかったのだろう。

5月3日
 Y.Hで一緒になったオーストラリア人の若者二人とともにパリへ。
 初めて見るエッフェル塔、夢にまで見たパリ。
 なのに、感動はナシ。
 到着したオステルリッツ駅は即物感に満ちて興ざめ。
 旅行者に対するもてなしの心どころか配慮もまったくない。
 パリの第一印象悪し。
 彼らと別れてモンマルトルの丘のふもと、
 ピガール広場に近い学生ホテルへ行けどもclosed。
 あちこち電話したり、駆けずり回ったりした挙句、
 ピガールとは反対方向、パリ南方のY.Hに落ち着く。
 6フランでローストビーフの夕食。
 BGMはその年、世界中を席巻した、
 「ある愛の詩(ラヴ・ストーリー)」の仏語版だ。
 歌っているのはミレイユ・マチュウ。
 オステルリッツ駅にバッグを取りに行き、戻って就寝。

かのオーストラリアンズは翌年、
日本に訪ねて来たので板橋のわが家へ夕食に招いた。

翌日には先述のK島クン、それにこちらはモスクワのあと、
ヘルシンキまで一緒だった年上の女性たち、
I原サンとW辺サンと再会をはたし、
カルチェ・ラタンの中華料理屋で晩めしをともにしている。
ソルボンヌへの留学を志すK島クンのアパルトマンに
長いこと居候させてもらった。
宿泊代が浮いて大助かり。

ところで、青春時代の旅日記となると、
1971年のこの旅行がたびたび登場してくる。
実は克明に記された日記はコレしか残っていないのだ。

19歳から23歳までの5年間は旅に明け暮れていた。
バイトで稼いじゃ、放浪していた。
Yesterday When I was Young .
そう帰り来ぬ青春の一コマであった。

=おしまい=