近隣のスーパで購入した千葉産のアサリ。
砂抜きのために張った塩水の中に
小さな生きものを発見したハナシのつづきです。
百聞は一見に如かず、とくとご覧くだされ。
蟹クン、しばらくはジッとしていた。
その後、静かに着地を試みてひとしきり歩き回った末に
1粒のアサリの下に隠れた。
このような小蟹に遭遇することがある。
しかし、それは貝と一緒に料されたあとの亡骸。
小さな身体もほのかな緋色に変色している。
今は昔、1980年代初頭。
丸の内北口にある「丸の内ホテル」内の仏料理店をよく利用した。
建て直す以前の建物は準シティホテルといったたたずまいで
現在の姿とは趣きがまったく異なっていた。
記憶は定かではないものの、
フレンチは確か「バンブー」という名前ではなかったろうか。
気に入りの料理はハマグリのクリーム煮だったが
ここで三度続けて貝の中に小蟹を発見した。
「へぇ~っ、こんなこともあるもんだ!」―
率直な印象を抱きつつ、そのまま食べたっけ・・・。
懐かしのレストランも
今は「ポム・ダダン(のど仏)」とその名を変えている。
ポム・ダダンは英語のアダムズ・アップル、
そう、アダムのリンゴだ。
なるほど仏料理で、のど仏ですかいな。
以来、貝の中の蟹にはたびたび出くわしている。
そしてこの現象は貝が蟹をエサとして捕獲し、
サァ、これからいよいよ食ってやるか・・・そう思った瞬間に
今度は貝自身が人間に捕らわれてしまい、
食事どころではなくなったものと信じていた。
今回なんとなくふと気になって調べてみると
意外なことが判明した。
この小蟹の正体は英名・ピンノで和名はカクレガニ。
貝に捕まったのではなく、
自らの意思でプランクトンの頃より
貝の中に移り住んだ永遠の居候だった。
生まれて初めて宿った貝の中で一生を過ごし、
貝が死ねば自分もあとを追う、
というか、エサを捕る術(すべ)を知らないから
生き延びることができないのだ。
一蓮托生とはまさにこのことで
自然界の不思議ここに極まれり、でありましょう。
砂抜きのために張った塩水の中に
小さな生きものを発見したハナシのつづきです。
百聞は一見に如かず、とくとご覧くだされ。
それは蟹であった
貝殻の中に潜んでいたに違いない。蟹クン、しばらくはジッとしていた。
その後、静かに着地を試みてひとしきり歩き回った末に
1粒のアサリの下に隠れた。
徘徊中の蟹
アサリやハマグリを食べているとき、このような小蟹に遭遇することがある。
しかし、それは貝と一緒に料されたあとの亡骸。
小さな身体もほのかな緋色に変色している。
今は昔、1980年代初頭。
丸の内北口にある「丸の内ホテル」内の仏料理店をよく利用した。
建て直す以前の建物は準シティホテルといったたたずまいで
現在の姿とは趣きがまったく異なっていた。
記憶は定かではないものの、
フレンチは確か「バンブー」という名前ではなかったろうか。
気に入りの料理はハマグリのクリーム煮だったが
ここで三度続けて貝の中に小蟹を発見した。
「へぇ~っ、こんなこともあるもんだ!」―
率直な印象を抱きつつ、そのまま食べたっけ・・・。
懐かしのレストランも
今は「ポム・ダダン(のど仏)」とその名を変えている。
ポム・ダダンは英語のアダムズ・アップル、
そう、アダムのリンゴだ。
なるほど仏料理で、のど仏ですかいな。
以来、貝の中の蟹にはたびたび出くわしている。
そしてこの現象は貝が蟹をエサとして捕獲し、
サァ、これからいよいよ食ってやるか・・・そう思った瞬間に
今度は貝自身が人間に捕らわれてしまい、
食事どころではなくなったものと信じていた。
今回なんとなくふと気になって調べてみると
意外なことが判明した。
この小蟹の正体は英名・ピンノで和名はカクレガニ。
貝に捕まったのではなく、
自らの意思でプランクトンの頃より
貝の中に移り住んだ永遠の居候だった。
生まれて初めて宿った貝の中で一生を過ごし、
貝が死ねば自分もあとを追う、
というか、エサを捕る術(すべ)を知らないから
生き延びることができないのだ。
一蓮托生とはまさにこのことで
自然界の不思議ここに極まれり、でありましょう。