2013年12月25日水曜日

第737話 上野で乗った都営バス (その2)

上野広小路で都営の路線バスに飛び乗ったのだったが・・・

 ♪  若い希望も 恋もある
    ビルの街から 山の手へ
    紺の制服 身につけて 
    私は東京の バスガール 
        発車オーライ 
        明るく明るく 走るのよ ♪
    (作詞:丘灯至夫)

初代コロンビア・ローズの「東京のバスガール」が
世に出たのは1957の10月。
小学校に上がる直前のJ.C.は
このヒット曲をリアルタイムで鮮明に記憶している。

この年の春だったか、
当時、長野県・長野市に在住していたわがファミリーは
亡父の事業失敗により、東京へ落ち延びてきた。
言わば、都落ちの逆バージョンですネ。

しばらくは親の親戚やら友人を頼る日々が続いた。
とにかく初めの1年は都内各所を目まぐるしく移り住んだのだ。
そうこうするうち、この悪ガキも小学校に進むってんで
健康診断を受けたのが文京区立根津小学校。
それが数週間後に入学したのは大田区立大森第五小学校。
根津も大森も親父の学生時代の盟友が棲んでおり、
そこここに居候することになったというワケ。

短い期間にあっちゃこっちゃグルグル回ってるんだから
友人の方々もいろいろ算段してくれたのだろうが
厄介なのが上京してきたものだと頭を悩ませたハズ。
これをたらい回しなんぞと言ったらバチが当たる。
みなさん鬼籍に入られたが、ご恩をわすれやしません。

1958年4月、J.C.オカザワは小学校へ。
長嶋茂雄は読売ジャイアンツへ。
杉浦忠は南海ホークスへ。
そういやあ、とうとう、
ビッグコミック・オリジナルの「あぶさん」が終わるんですってネ。

ハナシを元に戻すと、1958年の5月。
親父の盟友で根津在住のK岡サン、
実はこの方、粉わさび製造会社の社長サンだが
その会社の社員旅行がとり行われた。
行く先は石段で有名な群馬県の伊香保温泉である。
今となってはどんな経緯か知る由もないけれど、
なぜか社員旅行にわれわれ親子が便乗したのだった。
まあ、息子から見ても親父はちゃっかり屋でしたから。

旅行は往復ともに観光バス。
いや、バスガイドのオネエさんが歌いに歌いました。
何を? ってか? もちろん「東京のバスガール」ですがな。
何せ、当時の大ヒット曲、社員連中のリクエストもあって
往復でトータル8回は歌ってもらったんじゃないでしょか。

昭和33年、みんなまだ貧しかったけど、平和な時代でありました。