ただいま活動休止中のサザンオールスターズ。
いつになったら復活するのやら・・・。
リーダー桑田圭祐の健康不安もあり、
しばらくは目途が立ちそうもない。
30年間も日本音楽界のトップを走り続けてきたのだから
もういいだろうという向きもあれば
再起を心待ちにするファンも多いことだろう。
1978年、彼らが本格的に
デビューしたときのことはよお~く覚えている。
この年は邦楽の当たり年で佳曲が立て続けにリリースされた。
ピンクレディーの活躍目覚ましく、レコ大受賞曲「UFO」をはじめ、
「サウスポー」や「透明人間」などシングル盤が5曲も発表され、
男性陣ではジュリーこと、沢田研二が絶好調だった。
ほかにも「時には娼婦のように」、「飛んでイスタンブール」、
「カナダからの手紙」、「林檎殺人事件」と異色曲あふれるなか、
心に残る想い出の曲は百恵「いい日旅立ち」、
淳子「しあわせ芝居」、そして千春「季節の中で」の以上3曲。
二人の純子の「みずいろの雨」と「たそがれマイ・ラブ」も好きだ。
演歌ファンなら「夢追い酒」が忘れじの一曲だろう。
サザンを初めて見たのはホテルのパーティーの席上だった。
TVより先に生で観た唯一のアーティストである。
何のパーティーだか忘れてしまったが
ショータイムのゲストバンドとしていきなりステージに上がり、
「勝手にシンドバッド」を激唱&激奏し始めたのだ。
いやあ、正直言って衝撃でしたね、
スゴいやつらがスゴいナンバーを引っ下げて現れたという印象。
こいつは間違いなく本物だと確信したが
本物どころか、超大物になっちまいやがった。
気に入りの曲は「勝手にシンドバッド」を別格として
「夏をあきらめて」
「匂艶 THE NIGHT CLUB」
「My Foreplay Music」
「メリケン情緒は涙のカラー」
「BLUE~こんな夜には踊れない~」
「さよならベイビー」
「HOTEL PACIFIC」
といったところ。
逆に大ヒットしたわりにそうでもないのは
「いとしのエリー」
「真夏の果実」
「涙のキッス」
「愛の言霊」
「TSUNAMI」(今からでもタイトル変えたいネ、桑田クン)
あたりかな。
すべてじゃないけどスローバラードが合わないようだ。
わが身にとって1978年は失職し、ホテル業界に戻った年。
糊口をしのぐための緊急避難だったが
今振り返れば、つかの間楽しい日々が続いていたように思う。
ちょうど東京の街にカラオケが普及し始めた頃、
場末のスナックで”角”か”ダルマ”の水割りを飲みながら
8トラックのデカいカートリッジを出し入れしたものだ。
人の世に 涙の川があり 苦労の山もある
その川を渡るとき その山を越えるとき
歌という友がいる
故遠藤実、歌を愛すればこその名言である。
「高校三年生」と「あゝ青春の胸の血は」は
今でも興が乗ると歌わせてもらってます。
たまには森昌子の「おかあさん」なんかもネ。
いつになったら復活するのやら・・・。
リーダー桑田圭祐の健康不安もあり、
しばらくは目途が立ちそうもない。
30年間も日本音楽界のトップを走り続けてきたのだから
もういいだろうという向きもあれば
再起を心待ちにするファンも多いことだろう。
1978年、彼らが本格的に
デビューしたときのことはよお~く覚えている。
この年は邦楽の当たり年で佳曲が立て続けにリリースされた。
ピンクレディーの活躍目覚ましく、レコ大受賞曲「UFO」をはじめ、
「サウスポー」や「透明人間」などシングル盤が5曲も発表され、
男性陣ではジュリーこと、沢田研二が絶好調だった。
ほかにも「時には娼婦のように」、「飛んでイスタンブール」、
「カナダからの手紙」、「林檎殺人事件」と異色曲あふれるなか、
心に残る想い出の曲は百恵「いい日旅立ち」、
淳子「しあわせ芝居」、そして千春「季節の中で」の以上3曲。
二人の純子の「みずいろの雨」と「たそがれマイ・ラブ」も好きだ。
演歌ファンなら「夢追い酒」が忘れじの一曲だろう。
サザンを初めて見たのはホテルのパーティーの席上だった。
TVより先に生で観た唯一のアーティストである。
何のパーティーだか忘れてしまったが
ショータイムのゲストバンドとしていきなりステージに上がり、
「勝手にシンドバッド」を激唱&激奏し始めたのだ。
いやあ、正直言って衝撃でしたね、
スゴいやつらがスゴいナンバーを引っ下げて現れたという印象。
こいつは間違いなく本物だと確信したが
本物どころか、超大物になっちまいやがった。
気に入りの曲は「勝手にシンドバッド」を別格として
「夏をあきらめて」
「匂艶 THE NIGHT CLUB」
「My Foreplay Music」
「メリケン情緒は涙のカラー」
「BLUE~こんな夜には踊れない~」
「さよならベイビー」
「HOTEL PACIFIC」
といったところ。
逆に大ヒットしたわりにそうでもないのは
「いとしのエリー」
「真夏の果実」
「涙のキッス」
「愛の言霊」
「TSUNAMI」(今からでもタイトル変えたいネ、桑田クン)
あたりかな。
すべてじゃないけどスローバラードが合わないようだ。
わが身にとって1978年は失職し、ホテル業界に戻った年。
糊口をしのぐための緊急避難だったが
今振り返れば、つかの間楽しい日々が続いていたように思う。
ちょうど東京の街にカラオケが普及し始めた頃、
場末のスナックで”角”か”ダルマ”の水割りを飲みながら
8トラックのデカいカートリッジを出し入れしたものだ。
人の世に 涙の川があり 苦労の山もある
その川を渡るとき その山を越えるとき
歌という友がいる
故遠藤実、歌を愛すればこその名言である。
「高校三年生」と「あゝ青春の胸の血は」は
今でも興が乗ると歌わせてもらってます。
たまには森昌子の「おかあさん」なんかもネ。