2011年4月27日水曜日

第40話 あれは33年前

ただいま活動休止中のサザンオールスターズ。
いつになったら復活するのやら・・・。
リーダー桑田圭祐の健康不安もあり、
しばらくは目途が立ちそうもない。
30年間も日本音楽界のトップを走り続けてきたのだから
もういいだろうという向きもあれば
再起を心待ちにするファンも多いことだろう。

1978年、彼らが本格的に
デビューしたときのことはよお~く覚えている。
この年は邦楽の当たり年で佳曲が立て続けにリリースされた。
ピンクレディーの活躍目覚ましく、レコ大受賞曲「UFO」をはじめ、
「サウスポー」や「透明人間」などシングル盤が5曲も発表され、
男性陣ではジュリーこと、沢田研二が絶好調だった。

ほかにも「時には娼婦のように」、「飛んでイスタンブール」、
「カナダからの手紙」、「林檎殺人事件」と異色曲あふれるなか、
心に残る想い出の曲は百恵「いい日旅立ち」、
淳子「しあわせ芝居」、そして千春「季節の中で」の以上3曲。
二人の純子の「みずいろの雨」と「たそがれマイ・ラブ」も好きだ。
演歌ファンなら「夢追い酒」が忘れじの一曲だろう。

サザンを初めて見たのはホテルのパーティーの席上だった。
TVより先に生で観た唯一のアーティストである。
何のパーティーだか忘れてしまったが
ショータイムのゲストバンドとしていきなりステージに上がり、
「勝手にシンドバッド」を激唱&激奏し始めたのだ。
いやあ、正直言って衝撃でしたね、
スゴいやつらがスゴいナンバーを引っ下げて現れたという印象。
こいつは間違いなく本物だと確信したが
本物どころか、超大物になっちまいやがった。

気に入りの曲は「勝手にシンドバッド」を別格として
 「夏をあきらめて」
 「匂艶 THE NIGHT CLUB」
 「My Foreplay Music」
 「メリケン情緒は涙のカラー」
 「BLUE~こんな夜には踊れない~」
 「さよならベイビー」
 「HOTEL PACIFIC」
といったところ。

逆に大ヒットしたわりにそうでもないのは
 「いとしのエリー」
 「真夏の果実」
 「涙のキッス」
 「愛の言霊」
 「TSUNAMI」(今からでもタイトル変えたいネ、桑田クン)
あたりかな。
すべてじゃないけどスローバラードが合わないようだ。

わが身にとって1978年は失職し、ホテル業界に戻った年。
糊口をしのぐための緊急避難だったが
今振り返れば、つかの間楽しい日々が続いていたように思う。
ちょうど東京の街にカラオケが普及し始めた頃、
場末のスナックで”角”か”ダルマ”の水割りを飲みながら
8トラックのデカいカートリッジを出し入れしたものだ。

 人の世に 涙の川があり 苦労の山もある
 その川を渡るとき その山を越えるとき
 歌という友がいる

故遠藤実、歌を愛すればこその名言である。
「高校三年生」と「あゝ青春の胸の血は」は
今でも興が乗ると歌わせてもらってます。
たまには森昌子の「おかあさん」なんかもネ。