「週刊現代」のコラムから借用した<私のいちばん>。
Q10まであるうち、Q2の”いちばん会いたい人”のことである。
誰にいちばん逢いたいかなァ?
まぶたを閉じると、さまざまな顔が浮かんでは消える。
実生活に関わった人物よりも
俳優や歌手など著名人に落ち着きそうだ。
そのほうが無難というか、関わった人はすでに逢った人で
あらためて逢えば再会だからネ。
画家・作家のセンはあるけれど、
絶対にないのが政財界、これだけは断言できる。
「週刊現代」の回答者には歴史上の人物を挙げる人もいた。
気持ちは判るが大昔の人は実体がつかみにくく、
たとえ興味が湧いたとしても逢いたいとまでは思わない。
もしも願いが叶うなら
せっかくだから酒を酌み交わしたいものだ。
逢いたい人は一緒に飲みたい人、
候補者をリストアップしてみよう。
永井荷風 坂口安吾 升田幸三 岡本太郎 鶴田浩二
市川雷蔵 フランク永井 林家三平 古今亭志ん朝
故人ばかりが脳裏をよぎってゆく。
荷風なら浅草のそば屋か洋食屋でせいぜいお銚子1本。
太郎だと場所にこだわらず、
底に顔のあるグラスでウイスキーのロック。
フランクは有楽町のティールームだが
ティールームだってビールくらいは置いているだろう。
志ん朝であれば湯島の天ぷらか森下のケトバシで燗酒がピッタリだ。
と、ここまで列挙して思い返した。
どうせならやっぱ女性でしょ。
そうと決まればさっそく吟味、ぎんみ。
高峰秀子 団令子 有馬稲子 桑野みゆき 小川真由美
加賀まり子 ザ・ピーナッツ
女性の候補は少数精鋭、女優が目立つが存命者も少なくない。
う~ん、いずれがアヤメかカキツバタ、迷っちゃうな。
でもネ、誰か一人に絞るとなると、
大好きな小川真由美をしのいで江利チエミということになった。
彼女の歌を聴けば聴くほどハマッてしまう。
いや、歌だけでなく、踊りも演技もすばらしい。
先週の”七面鳥シリーズ”の最後で
映画「ひばり・チエミの弥次喜多道中」にちょこっとふれたが
同じまげものミュージカルの「ひばり・チエミのおしどり千両傘」を観て
ほとほと感じいった。
天才などという月並みなフレーズでは片付けられないや。
歌手として女優として、あれほどの才能に恵まれながら
実生活では災厄と不幸せの連続、心から気の毒に思う。
晩年のヒット曲「酒場にて」の歌詞が現実とモロにカブッてしまうのだ。
チエミにとってこの曲は、ひばりの「悲しい酒」と同じ意味合いを持っている。
陽のあたる場所が明るければ明るいほど、
闇の暗さもまた深いということだろうか。
Q10まであるうち、Q2の”いちばん会いたい人”のことである。
誰にいちばん逢いたいかなァ?
まぶたを閉じると、さまざまな顔が浮かんでは消える。
実生活に関わった人物よりも
俳優や歌手など著名人に落ち着きそうだ。
そのほうが無難というか、関わった人はすでに逢った人で
あらためて逢えば再会だからネ。
画家・作家のセンはあるけれど、
絶対にないのが政財界、これだけは断言できる。
「週刊現代」の回答者には歴史上の人物を挙げる人もいた。
気持ちは判るが大昔の人は実体がつかみにくく、
たとえ興味が湧いたとしても逢いたいとまでは思わない。
もしも願いが叶うなら
せっかくだから酒を酌み交わしたいものだ。
逢いたい人は一緒に飲みたい人、
候補者をリストアップしてみよう。
永井荷風 坂口安吾 升田幸三 岡本太郎 鶴田浩二
市川雷蔵 フランク永井 林家三平 古今亭志ん朝
故人ばかりが脳裏をよぎってゆく。
荷風なら浅草のそば屋か洋食屋でせいぜいお銚子1本。
太郎だと場所にこだわらず、
底に顔のあるグラスでウイスキーのロック。
フランクは有楽町のティールームだが
ティールームだってビールくらいは置いているだろう。
志ん朝であれば湯島の天ぷらか森下のケトバシで燗酒がピッタリだ。
と、ここまで列挙して思い返した。
どうせならやっぱ女性でしょ。
そうと決まればさっそく吟味、ぎんみ。
高峰秀子 団令子 有馬稲子 桑野みゆき 小川真由美
加賀まり子 ザ・ピーナッツ
女性の候補は少数精鋭、女優が目立つが存命者も少なくない。
う~ん、いずれがアヤメかカキツバタ、迷っちゃうな。
でもネ、誰か一人に絞るとなると、
大好きな小川真由美をしのいで江利チエミということになった。
彼女の歌を聴けば聴くほどハマッてしまう。
いや、歌だけでなく、踊りも演技もすばらしい。
先週の”七面鳥シリーズ”の最後で
映画「ひばり・チエミの弥次喜多道中」にちょこっとふれたが
同じまげものミュージカルの「ひばり・チエミのおしどり千両傘」を観て
ほとほと感じいった。
天才などという月並みなフレーズでは片付けられないや。
歌手として女優として、あれほどの才能に恵まれながら
実生活では災厄と不幸せの連続、心から気の毒に思う。
晩年のヒット曲「酒場にて」の歌詞が現実とモロにカブッてしまうのだ。
チエミにとってこの曲は、ひばりの「悲しい酒」と同じ意味合いを持っている。
陽のあたる場所が明るければ明るいほど、
闇の暗さもまた深いということだろうか。